・・・と、吉里も今度は優しく言う。お熊は何も言わないであちらへ行ッた。「ちょいと行ッて来ちゃアどうだね、も一杯威勢を附けて」 西宮が与した猪口に満々と受けて、吉里は考えている。「本統にそうおしよ。あんまり放擲ッといちゃアよくないよ。善・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・の時には生人形を拵えるというのが自分で付けた註文で、もともと人間を活かそうというのだから、自然、性格に重きを置いたんだが、今度の「平凡」と来ちゃ、人間そのものの性格なんざ眼中に無いんさ。丸ッきり無い訳ではないが、性格はまア第二義に落ちて、そ・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・察するに今度のような突飛な事をしたのは、今に四十になると思ったからではあるまいか。夫が不実をしたのなんのと云う気の毒な一条は全然虚構であるかも知れない。そうでないにしても、夫がそんな事をしているのは、疾うから知っていて、別になんとも思わなか・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・写生でさえやれば何でも画けぬ事はないはずだ、というので忽ち大天狗になって、今度は、自分の左の手に柿を握って居る処を写生した。柿は親指と人さし指との間から見えて居る処で、これを画きあげるのは非常の苦辛であった。そこへ虚子が来たからこの画を得意・・・ 正岡子規 「画」
・・・なぜならいままでは塩水選をしないでやっと反当二石そこそこしかとっていなかったのを今度はあちこちの農事試験場の発表のように一割の二斗ずつの増収としても一町一反では二石二斗になるのだ。みんなにもほんとうにいいということが判るようになったら、・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・ 内縁関係、未亡人の生きかたに絡む様々の苦しい絆は、経済上の性質をもっているにしろ、その根に、精神の軛として、封建的な家族制度がのしかかっている。今度の第二次世界戦争で、日本の軍事的権力は百四万以上の生命を犠牲とした。家庭は、既に強権に・・・ 宮本百合子 「合図の旗」
・・・』 終日かれは自分の今度の災難一件を語った。かれは途ゆく人を呼び止めて話した、居酒屋へ行っては酒をのむ人にまで話した。次の日曜日、人々が会堂から出かける所を見ては話した。かれはこの一件を話すがために知らぬ人を呼び止めたほどであった。今は・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・しかし今度は長い間なんとも言わなかった。外の話を色々した後で、叔父は思い出したように云った。「あの支度はのう、先へして置いても好いぞよ」 六日には九郎右衛門が兄の墓参をした。七日には浜町の神戸方へ、兄が末期に世話になった礼に往った。西北・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・「安次、手前ここに構えとれよ。今度俺とこへ来さらしたら、殴打しまくるぞ。」 安次は戸口へ蹲んだまま俯向いて、「もうどうなとしてくれ。」と小声で云った。「当分ここにおったらええが、その中に良うなろうぜ。」 そう勘次が静に云・・・ 横光利一 「南北」
今度岡倉一雄氏の編輯で『岡倉天心全集』が出始めた。第一巻は英文で発表せられた『東洋の理想』及び『日本の覚醒』の訳文を載せている。第二巻は『東洋に対する鑑識の性質と価値』その他の諸篇、第三巻は『茶の書』を含むはずであるという。岡倉先生の・・・ 和辻哲郎 「岡倉先生の思い出」
出典:青空文庫