・・・クララが今夜出家するという手筈をフランシスから知らされていた僧正は、クララによそながら告別を与えるためにこの破格な処置をしたのだと気が付くと、クララはまた更らに涙のわき返るのをとどめ得なかった。クララの父母は僧正の言葉をフォルテブラッチョ家・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・なんでもいいから気の落ち付く方法を作りたい。人と人とが互いに不安の眼を張って顔を合わせたくない。長閑な日和だと祝し合いたい。そこで一つの迷信に満足せねばならなくなる。それは、人生には確かに二つの道はあるが、しようによってはその二つをこね合わ・・・ 有島武郎 「二つの道」
・・・それを見ると僕は悲しさと嬉しさとが一緒になって、いきなり飛びつこうとしましたが、やはりおとうさんもおかあさんも狸の化けたのではないかと、ふと気が付くと、何んだか薄気味が悪くなって飛びつくのをやめました。そしてよく二人を見ていました。 お・・・ 有島武郎 「僕の帽子のお話」
・・・「喰付く犬が居るよ。お母あさんも、みんなも、もう庭へ出てはいけません。本当に憎らしい犬だよ」といった。 夜になって犬は人々の寝静まった別荘の側に這い寄って、そうして声を立てずにいつも寝る土の上に寝た。いつもと違って人間の香がする。熱いの・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・手頃なのは大抵想像は付くけれども、かこみほとんど二尺、これだけの大きさだと、どのくらい重量があろうか。普通は、本堂に、香華の花と、香の匂と明滅する処に、章魚胡坐で構えていて、おどかして言えば、海坊主の坐禅のごとし。……辻の地蔵尊の涎掛をはぎ・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・強い弾丸が当って、初めて気が付くんや。それに就いて面白い話がある。僕のではない、他の中隊の一卒で、からだは、大けかったけど、智慧がまわりかねた奴であったさかい、いつも人に馬鹿にされとったんが『伏せ』の命令で発砲した時、急に飛び起きて片足立ち・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・ジャレ付いた。ジャレ付くのが可愛いような犬ではなかったが、二葉亭はホクホクしながら、「こらこら、畳の上が泥になる、」と細い眼をして叱りつけ、庭先きへ追出しては麺麭を投げてやった。これが一日の中の何よりの楽みであった。『平凡』に「……ポチが私・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・もしその皮の上に一寸した染が出来るとか、一寸した創が付くとかしますと、わたくしはどんなにしてでも、それを癒やしてしまわずには置かれませんでした。わたくしはその恋愛が非常に傷けられたと存じました時、そのために、長煩いで腐って行くように死なずに・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・ もし今日の知識階級と名の付く者の中に、社会主義的精神の分らない者があったなら、其者は馬鹿とか利巧とか評される前に恐らく良心がないかを疑われるであろう。正邪、善悪のあまり明かな事実を見ているにかゝわらず、彼の心には、何の感激もないからで・・・ 小川未明 「草木の暗示から」
・・・広告費の何万円とかも国のためになるような方法で使ったら、一層よかったねなどと、この際言っても、もう追っ付くまい。ただ、おれはこれだけ言って置きたい。おれはそんなお前が急にいやになって来たのだ――と。 それまでおれは、お前の売名行為を薬を・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
出典:青空文庫