・・・余輩断じていわん、家に財あり、父母に才学あらば、十歳前後の子を今の学校に入るるべからず、またこれを他人に託すべからず、仮令いあるいは学校に入れ他人に託するも、全くこれを放ちて父母教育の関係を絶つべからずと。然りといえども実際において人の家に・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・の下すったお手紙はわたしの心の中を光明と熱とで満したようで、わたしはあれを頂く頃は昼中も夢を見ているように、うろうろしておりましたが、あれがどれだけの事であったやら、後で思えばわたくしには分りません。仮令お手紙を上げたとて、虚が信になりもせ・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・尤も老人病弱者にても若し肉食を嫌うものがあればこれに適するような消化のいい食品をつくる事に就ては私共只今充分努力を致して居るのであります。仮令ば蛋白質をば少しく分解して割合簡単な形の消化し易いものを作る等であります。 第二に食事は一つの・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ けれども芳子さんは、どんな辛い時でも、自分の正しいと思う親切は、仮令政子さんが其を悦んでも悦ばないでも、行って居りました。 親切は、ひとに褒められる為にする事でもなく、お礼を云って貰う為めにする事でもございません。 よい事は、・・・ 宮本百合子 「いとこ同志」
・・・ 立役は一人の背に負わされていても、何かの必要から一旦舞台へ立ったら、仮令椅子の足になっても、心をすっぽかしていてはなるまい。綜合的な舞台の芸術を真個に生かすには、只一本無駄な花があってさえ全体の気分に関係する。濫な作者の道楽気は反省さ・・・ 宮本百合子 「印象」
・・・そして、現在一年余の結婚生活の経験に於て、其は仮令非常に短時間ではあっても、最初の自分の考えは、全然間違って居たものではない事を認めて来た。 人は、自分の裡に未だ顕われずに潜む多くの力の総てを出し切る機会を持たなければ、其等力の実値を体・・・ 宮本百合子 「黄銅時代の為」
・・・文芸欄に、縦令個人の署名はしてあっても、何のことわりがきもなしに載せてある説は、政治上の社説と同じようなもので、社の芸術観が出ているものと見て好かろう。そこで木村の書くものにも情調がない、木村の選択に与っている雑誌の作品にも情調がないと云う・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・予の居る所の地は、縦令予が同情を九州に寄することがいかに深からんも、西僻の陬邑には違あるまい。予は僅に二三の京阪の新聞紙を読んで、国の中枢の崇重しもてはやす所の文章の何人の手に成るかを窺い知るに過ぎぬので、譬えば簾を隔てて美人を見るが如くで・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・いつか私は西洋にある詞で、日本に無い詞がある、随ってそういう概念があちらにあって、こちらに無いと云うような事を話した事がありました。縦令両方にその詞はあってもそれが向うでは日常使われているのに、こちらでは使われていないという関係もあるのです・・・ 森鴎外 「Resignation の説」
・・・此の資本主義の存在している限り、それは仮令、排撃せらるべき文学であるとしても、新しき資本主義文学の発生するのも、また当然でなければならぬ。 しかし、もしそうして資本主義文学が新しく発生したとしても、彼らは唯物論的な観察精神をもった新感覚・・・ 横光利一 「新感覚派とコンミニズム文学」
出典:青空文庫