・・・私のこれまでの生涯を追想して、幽かにでも休養のゆとりを感じた一時期は、私が三十歳の時、いまの女房を井伏さんの媒酌でもらって、甲府市の郊外に一箇月六円五十銭の家賃の、最小の家を借りて住み、二百円ばかりの印税を貯金して誰とも逢わず、午後の四時頃・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・そうして第八日第九日目を十分に休養した後に最後の第十日目に一気に頂上まで登る、という、こういうプランで遂行すれば、自分のような足弱でも大丈夫登れるであろう。 こんなことをいいながら星野の宿へ帰って寝た。ところがその翌日は両方の大腿の筋肉・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・三月九日帰朝早々から風邪を引き、軽い肺気腫の兆候があるというので大事を取って休養していたが、一度快くなって、四月五日の工学大会に顔を出したが、その翌日の六日の早朝から急性肺炎の症状を発して療養効なく九日の夕方に永眠した。生前の勲功によって歿・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・「何しろ七月はばかに忙しい月で、すっかり頭脳をめちゃくちゃにしてしまったんで、少し休養したいと思って」「それなら姉の家はどうですか。今は静かです」「さあ」道太の姪の家も広くはあるし、水を隔てて青い山も見えるので、悪くはないと思っ・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・何でも去年とか一度卒倒して、しばらく田端辺で休養していたので、今じゃ少しは好いようだとかいう話しであった。「それじゃ、まだ来客謝絶だろう」と冗談半分に聞いて見たら、「まあ……」とか何とか云う返事であった。「それじゃ、行くのはまあ見合せよう」・・・ 夏目漱石 「長谷川君と余」
・・・学校に居る時は、教室の一番隅に小さく隠れ、休養時間の時には、だれも見えない運動場の隅に、息を殺して隠れて居た。でも餓鬼大将の悪戯小僧は、必ず僕を見付け出して、皆と一緒に苛めるのだった。僕は早くから犯罪人の心理を知っていた。人目を忍び、露見を・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・そのときあちこちの氷山に、大循環到着者はこの附近に於て数日間休養すべし、帰路は各人の任意なるも障碍は来路に倍するを以て充分の覚悟を要す。海洋は摩擦少きも却って速度は大ならず。最も愚鈍なるもの最も賢きものなり、という白い杭が立っている。これよ・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・人間は労働、休養、教育に二十四時間をわけてつかうのだから。 学生と職場の人たちとは、生活の違いがひどいように自分たちでも思っている。けれども、今日学生の何割がほんとうに学校に行っているだろう。行けない学生は何のために学校にゆけないかを考・・・ 宮本百合子 「明日をつくる力」
・・・それが今は農民のための療養所で、集団農場から休養にやって来ている連中が、楽しそうに芝生の上にころがって海の風に当っていた。 農村のために映画館を二万五千にふやしラジオは十倍にひろげられた。農村の学校、診療所、産院等五ヵ年計画では大した予・・・ 宮本百合子 「今にわれらも」
・・・ メーデーに赤い広場の歴史的首切り台に飾られた労働者の大群像は祭の後にモスクワ河の河岸にある「文化と休養の公園」の丘の上へ移された。 河岸には職業組合の設けた水浴場がある。 青葉の下の飛び込み台から身をおどらし、若い女が水へ飛び・・・ 宮本百合子 「インターナショナルとともに」
出典:青空文庫