・・・「わたくしの夫、一番ヶ瀬半兵衛は佐佐木家の浪人でございます。しかしまだ一度も敵の前に後ろを見せたことはございません。去んぬる長光寺の城攻めの折も、夫は博奕に負けましたために、馬はもとより鎧兜さえ奪われて居ったそうでございます。それでも合・・・ 芥川竜之介 「おしの」
佐佐木君は剛才人、小島君は柔才人、兎に角どちらも才人です。僕はいつか佐佐木君と歩いていたら、佐佐木君が君に突き当った男へケンツクを食わせる勢を見、少からず驚嘆しました。実際その時の佐佐木君の勢は君と同姓の蒙古王の子孫かと思・・・ 芥川竜之介 「剛才人と柔才人と」
・・・ 批評学 ――佐佐木茂索君に―― 或天気の好い午前である。博士に化けた Mephistopheles は或大学の講壇に批評学の講義をしていた。尤もこの批評学は Kant の Kritik や何かではない。只如何・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・滝田君は僕と一しょにいた佐佐木茂索君を顧みながら、「芥川さんよりも痩せていますか?」といった。 ◇ 滝田君の訃に接したのは、十月二十七日の夕刻である。僕は室生犀生君と一しょに滝田君の家へ悔みに行った。滝田君は庭に面した・・・ 芥川竜之介 「滝田哲太郎君」
・・・私は当区――町――丁目――番地居住、佐々木信一郎と申すものでございます。年齢は三十五歳、職業は東京帝国文科大学哲学科卒業後、引続き今日まで、私立――大学の倫理及英語の教師を致して居ります。妻ふさ子は、丁度四年以前に、私と結婚致しました。当年・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・佐々木氏の祖父の弟、白望に茸を採りに行きて宿りし夜、谷を隔てたるあなたの大なる森林の前を横ぎりて女の走り行くを見たり。中空を走る様に思われたり。待てちゃアと二声ばかり呼ばりたるを聞けりとぞ。 修羅の巷を行くものの、魔界の姿見るが・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・国木田独歩を恋に泣かせ、有島武郎の小説に描かれた佐々木のぶ子の母の豊寿夫人はその頃のチャキチャキであった。沼南夫人はまた実にその頃の若い新らしい側を代表する花形であった。 今日の女の運動は社交の一つであって、貴婦人階級は勿論だが、中産以・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・本当いえば、私は佐々木小次郎の自信に憧れていたのかも知れない。けれども佐々木小次郎の自信は何か気負っていたらしい。それに比べて坂田の自信の方はどこか彼の将棋のようにぼんやりした含みがある。坂田の言葉をかりていえば、栓ぬき瓢箪のようにぽかんと・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・右側にはやはりモデルの一人で発起人の佐々木と土井。その向側にはおもに新聞雑誌社から職業的に出席したような人たちや、とにかくかなり広く文壇の批評家といった人々を網羅した観がある。私は笹川の得意さを想うと同時に、そしてまた昨日からの彼に対する憤・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・後帝劇で舞台協会の山田、森、佐々木君等がはなばなしくやった。今の岡田嘉子がかえでをやった。夏川静枝も処女出演した。 上演は入りは超満員だったが、芝居そのものは、どうも成功とはいえなかった。作者としては不平だらだらだった。しかし舞台協会の・・・ 倉田百三 「『出家とその弟子』の追憶」
出典:青空文庫