・・・うぶで、無邪気で、何事に逢っても挫折しない元気を持っている。物に拘泥しない、思索ということをしない、純血な人間に出来るだけの受用をする。いつも何か事あれかしと、居合腰をしているのである。 それだから金のいること夥だしい。定額では所詮足ら・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・驚いて見ていると、この暴君はまもなくこの哀れな俘虜を釈放して、そうしてあたかも何事も起こらなかったように悠々とその固有の雌鳥の一メートル以内の領域に泳ぎついて行った。善良なるその妻もまたあたかもこの世の中に何事も起こらなかったかのように平静・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・経済的には膨脹していても、真の生活意識はここでは、京都の固定的なそれとはまた異った意味で、頽廃しつつあるのではないかとさえ疑われた。何事もすべて小器用にやすやすとし遂げられているこの商工業の都会では、精神的には衰退しつつあるのでなければ幸い・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・また近すぎもしない。何か物を考えている時でもそのために妨げ乱されるようなことはない。そのまま考に沈みながら、静に聴いていられる音色である。また何事をも考えず、つかれてぼんやりしている時には、それがためになお更ぼんやり、夢でも見ているような心・・・ 永井荷風 「鐘の声」
・・・そうかといって太十はなかなか義理が堅いので何事かあると屹度兄の家へ駈けつける。然し彼は何事に就いても少しの意見もなければ自ら差し出てどうということもない。気に入らぬことがあれば独でぶつぶつと怒って居る。そうした時は屹度上脣の右の方がびくびく・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ 四階へ来た時は縹渺として何事とも知らず嬉しかった。嬉しいというよりはどことなく妙であった。ここは屋根裏である。天井を見ると左右は低く中央が高く馬の鬣のごとき形ちをしてその一番高い背筋を通して硝子張りの明り取りが着いている。このアチック・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・単にそれだけを主張するならば、何事にも反対好きな人は容易に否定するであろうという。デカルトは此に人に説くためにということを主として考えているようであるが、徹底的な懐疑的自覚、何処までも否定的分析ということは、哲学そのものに固有な、哲学という・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・金鵄勲章功七級、玄武門の勇士ともあろう者が、壮士役者に身をもち崩して、この有様は何事だろう。 次第に重吉は荒んで行った。賭博をして、とうとう金鵄勲章を取りあげられた。それから人力俥夫になり、馬丁になり、しまいにルンペンにまで零落した。浅・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・ 深谷は、昨夜と同じく何事もないように、ベッドに入ると五分もたたないうちに、軽い鼾をかき始めた。「今夜はもう出ないのかしら」と、安岡は失望に似た安堵を感じて、ウトウトした。 と、また、昨夜と同じ人間の体温を頬の辺りに感じた。・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・業婦を弄ぶのみか、此男は某地方出身の者にて、郷里に正当の妻を遺し、東京に来りて更らに第二の妻と結婚して、所謂一妻一妾は扨置き、二妻数妾の滅茶苦茶なれば、子供の厳父に於ける、唯その厳重なる命令に恐入り、何事に就ても唯々諾々するのみ、曾て之に心・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
出典:青空文庫