・・・なお一段と余情のあるのは、日が暮れると、竹の柄の小提灯で、松の中の径を送出すのだそうである。小褄の色が露に辷って、こぼれ松葉へ映るのは、どんなにか媚かしかろうと思う。「――お藻代さんの時が、やっぱりそうだったんですってさ。それに、も・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・氏の俘われを釈かれて国へ帰るを送っていよいよ明日は別れるという前夕、故主に謁して折からのそぼ降る雨の徒々を慰めつつ改めて宝剣を献じて亡父の志を果す一条の如き、大塚匠作父子の孤忠および芳流閣の終曲として余情嫋々たる限りなき詩趣がある。また例え・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・「余情」や「面影」を尊び「いわぬところに心をかけ」、「ひえさびたる趣」を愛したのであるが、それらの古人の理想を十二分に実現した最初の人が芭蕉であったのである。 さび、しおり、おもかげ、余情等種々な符号で現わされたものはすべて対象の表層に・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・そうして単に雪後の春月に対して物思う姿の余情を味わえば足りるであろう。 連想には上記のように内容から来るもののほかにまた単なる音調から来る連想あるいは共鳴といったような現象がしばしばある。これはわれわれ連句するものの日常経験するところで・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・見世物小屋の楽屋で、林之助の噂をする時、菓子売の勘蔵に林之助の情事を白状させようと迫る辺、まして、舞台で倒れた後に偶然来た林之助を捉えて、燃えるような口惜しさ、愛着を掻口説く時、お絹は、確に、もう少し余情を持つべきであった。意志の不明瞭な林・・・ 宮本百合子 「気むずかしやの見物」
・・・は欧州文化を早く吸収したクリスチャン出であったのだけれども、自然を描写する場合になると、漢文脈の熟語、形容詞をつかって、こんにちの読者にはふり仮名なしにはよめない麗句で朝日ののぼる姿を描き、あるいは、余情綿々たる和文調で草木の美を叙し、しか・・・ 宮本百合子 「自然描写における社会性について」
出典:青空文庫