・・・と打棄ったように忌々しげに呟いて、頬冠を取って苦笑をした、船頭は年紀六十ばかり、痩せて目鼻に廉はあるが、一癖も、二癖も、額、眦、口許の皺に隠れてしおらしい、胡麻塩の兀頭、見るから仏になってるのは佃町のはずれに独住居の、七兵衛という親仁である・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・実はね、横浜からこちらへ来るとすぐ佃へ行って、お光さんの元の家を訪ねたんだ。すると、とうにもうどこへか行ってしまって、隣近所でも分らないと言うものだから、俺はどんなにガッカリしたか知れやしねえ」「私ゃまた、鳥居のところでお光さんお光さん・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ 一通遊泳術の免許を取ってしまった後は全く教師の監督を離れるので、朝早く自分たちは蘆のかげなる稽古場に衣服を脱ぎ捨て肌襦袢のような短い水着一枚になって大川筋をば汐の流に任して上流は向島下流は佃のあたりまで泳いで行き、疲れると石垣の上に這・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・これだけは以前に変らぬ眺めであったが、自分の眼は忽ち佃島の彼方から深川へとかけられた一条の長い橋の姿に驚かされた。堤の上の小さい松の並木、橋の上の人影までが、はっきり絵のように見える。自分は永代橋の向岸で電車を下りた。その頃は殆ど門並みに知・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・の中に佃としてかかれているひとと生活していて、夫婦というもの毎日の生きかたの目的のわからない空虚さに激しく苦しみもだえていた。そのひととはなれていられず、それならばと云ってその顔を見ていると分別を失って苦しさにせき上げて来るような状態だった・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
・・・のような女房をもった佃に同情すべきであるというような言葉が、著名なひとの文芸評論として登場したりした文学の時代でもあったのだった。 戦後、「伸子」が十六七歳の少女の心にも通じる女性の訴として日常生活のなかによまれはじめたとき、わたしの心・・・ 宮本百合子 「心に疼く欲求がある」
A ――佃 一郎 自分―― 伸子 父 ――佐々省三 母――多計代 岩本――中西ちゑ子 弟――和一郎 南 ――高崎直子 弟――保 和田――安川ただ/咲森田、岩本散歩 或日曜後藤避暑の話、ミス ・・・ 宮本百合子 「「伸子」創作メモ(一)」
出典:青空文庫