・・・其通りの方であったので、家の様子が変って人少なになって居るに関わらず、種善院様の時代のように万事を遣って往こうというので、私は毎朝定められた日課として小学校へ往く前に神様や仏様へお茶湯を上げたりお飯を供えたりする、晩は灯明をも上げたのです。・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・新仏らしく、花などがいっぱいにそこに供えてあった。 寺に行って、O君に会って、種々戦場の話などをしたが、ふと思い出して、「小林秀三っていう墓があったが、きいたような名だが、あれは去年、一昨年あたり君の寺に下宿していた青年じゃないかね」・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・を築いて花を供えたりして、そういう場合におとなの味わう機微な感情の胚子に類したものを味わっているらしく見える。子供が虫をつかまえたり、いじめたり殺したりするのは、やはりいわゆる種属的記憶と称するものの一つでもあろうか。このような記憶あるいは・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・こういうものを供えて星を祭った昔の女の心根には今の若い婦人たちの胸の中のどこを捜してもないような情緒の動きがあったのではないかという気もするのである。 今の娘たちから見ると、眉を落とし歯を涅めた昔の女の顔は化け物のように見えるかもしれな・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・日本にもあるような秋草が咲いていたり、踏切番の小屋に菊が咲いていたり、路傍のマリヤのみ堂に花が供えてあるのも見ました。シャモニの町へはいるころには、もう日が暮れかかって、まっかな夕日がブゾンの氷河の頂を染めた時は実にきれいでした。村の町には・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・T氏はこれに花を供えて拝していた。 帰途に案内者のハリーがいろいろの人の推薦状を見せて自慢したりした。N氏の英語はうまいがT氏のはノーグードだなどと批評した。年を聞くと四十五だという。われわれは先祖代々の宗教を守っているのに、土人の中に・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ナニ耳のそばで誰やら話ししかけるようだ、何かいう事ないか、いう事ないでもない 借金の事どうかお頼み申すヨ、それきりか、僕は饅頭が好きだから死んだらなるべく沢山盛って供えてもらいたい、それは承知したが辞世はないか、それサ辞世の歌一首詠もうと思・・・ 正岡子規 「墓」
・・・ 追腹を切って阿部彌一右衛門は死んでしまったが、そうやって死んでも阿部一族への家中の侮蔑は深まるばかりで、その重圧に鬱屈した当主の権兵衛が先代の一周忌の焼香の席で、髻を我から押し切って、先君の位牌に供え、武士を捨てようとの決心を示した。こ・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・ 御玉串を供えて、白絹に被われる小さい可愛らしい棺の前にぬかずいた時今までの涙はもう止められない勢を持って流れ落ちた。 様々の思い――悲しみと悔い、心を痛めて起る様々の思いに頭が乱されてクラクラとなった、今にも何か口走りそうであった・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・ 警察は、殺した小林多喜二の猶生きつづける生命の力を畏れて、通夜に来る人々を片端から杉並警察署へ検束した。供えの花をもって行った私も検束された。「小林多喜二を何だと思って来た!」そう詰問された。「小林は日本に類の少い立派な作家だと思うか・・・ 宮本百合子 「今日の生命」
出典:青空文庫