・・・辰之助はそう言って爪先に埃のついた白足袋を脱いでいたが、彼も東京で修業したある種類の芸術家なので、この町の多くの人がもっているようなお茶の趣味はもっていた。骨董品――ことに古陶器などには優れた鑑賞眼もあって、何を見せても時代と工人とをよく見・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・しかしだれもいないところでふれたって売れる道理はないのだから、やっぱりみんなの見ているところで怒鳴れるように修業しなければならない。 それからだんだん、ふれ声も平気で言えるようになり、天秤棒の重みで一度は赤く皮のむけた肩も、いつかタコみ・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・五十年間案内者を専門に修業したものでもあるまいが非常に熟練したものである。何年何月何日にどうしたこうしたとあたかも口から出任せに喋舌っているようである。しかもその流暢な弁舌に抑揚があり節奏がある。調子が面白いからその方ばかり聴いていると何を・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・親は生計のための修業と考えているのに子供は道楽のための学問とのみ合点している。こういうような訳で道楽の活力はいかなる道徳学者も杜絶する訳にいかない。現にその発現は世の中にどんな形になって、どんなに現れているかと云うことは、この競争劇甚の世に・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・日本の文字文章を奨励し、字を知るためには漢書をも用い、学問の本体はすなわち英学にして、英字、英語、英文を教え、物理学の普通より、数学、地理、歴史、簿記法、商法律、経済学等に終り、なお英書の難文を読むの修業として、時としては高尚至極の原書を講・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・ ひっきょう余が洋学は一時の偶然に出でて、その修業の辛苦なりしがゆえに、これに入りたるものなりと、自から信ずるの外あるべからず。すでにこの学に志してようやくこれを勤むる間には、ようやく真理原則の佳境に入り、苦学すなわち精神を楽しましむる・・・ 福沢諭吉 「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」
・・・仏経に従うならば五種浄肉は修業未熟のものにのみ許されたこと楞迦経に明かである。これとても最後涅槃経中には今より以後汝等仏弟子の肉を食うことを許されずとされている。その五種浄肉とても前論士の云われた如き余り残忍なる行為によらずしてというごとき・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・に対しておくられた室生犀星氏は、自身の如く文学の砦にこもることを得たものはいいが、まだ他人の厄介になって文学修業なんか念願しているような青年共は、この際文学なんかすてて戦線にゆけ、と、自身の永く苦しかったその時代をさながら忘却失念したような・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・というのは、当時文学者として自分ぐらいの者になっているものはいいが、まだ人の世話になって小説の修業をしているような文学青年は、ペンをすてて戦場へ赴くべきだといった室生犀星をはじめとして、能動精神をとなえた作家のすべてをひっくるめて、文学は戦・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
・・・「お前も武者修業に出るのかい」「はい」と云ったが、りよは縫物の手を停めない。「ふん」と云って、叔父は良久しく女姪の顔を見ていた。そしてこう云った。「そいつは駄目だ。お前のような可哀らしい女の子を連れて、どこまで往くか分からん旅が出来・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫