・・・ 仁右衛門の小屋から一町ほど離れて、K村から倶知安に通う道路添いに、佐藤与十という小作人の小屋があった。与十という男は小柄で顔色も青く、何年たっても齢をとらないで、働きも甲斐なそうに見えたが、子供の多い事だけは農場・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・食料品はもとよりすべての物資は東倶知安から馬の背で運んで来ねばならぬ交通不便のところでした。それが明治三十三年ごろのことです。爾来諸君はこの農場を貫通する川の沿岸に堀立小屋を営み、あらゆる艱難と戦って、この土地を開拓し、ついに今日のような美・・・ 有島武郎 「小作人への告別」
・・・ 後方羊蹄山は綺麗な雲帽を冠っていた。十分後には帽が三重のスカーフ雲の笠になっていた。 倶知安の辺まで来るとまた稲田がある。どこまで行っても稲田は追っかけて来るのである。それでいて楽には米が食えないのが今の日本の国である。 札幌・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
出典:青空文庫