・・・〕のお金を使いこんだだけはまどう〔償う?〕ように頼み入り候。「あ」の字の旦那にはまことに、まことに面目ありません。のこりの金はみなお前様のものにして下され。一人旅うき世をあとに半之丞。〔これは辞世でしょう。〕おまつどの。」 半之丞の自殺・・・ 芥川竜之介 「温泉だより」
・・・あるいは、そのために運上を増して煙管の入目を償うような事が、起らないとも限らない。そうなっては、大変である――三人の忠義の侍は、皆云い合せたように、それを未然に惧れた。 そこで、彼等は、早速評議を開いて、善後策を講じる事になった。善後策・・・ 芥川竜之介 「煙管」
・・・「もし私がここで助かったら、私はどんな事をしても、この過去を償うのだが。」 彼は泣きながら、心の底でこう呟いた。が、限りなく深い、限りなく蒼い空は、まるでそれが耳へはいらないように、一尺ずつあるいは一寸ずつ、徐々として彼の胸の上へ下・・・ 芥川竜之介 「首が落ちた話」
・・・春先きの長雨を償うように雨は一滴も降らなかった。秋に収穫すべき作物は裏葉が片端から黄色に変った。自然に抵抗し切れない失望の声が、黙りこくった農夫の姿から叫ばれた。 一刻の暇もない農繁の真最中に馬市が市街地に立った。普段ならば人々は見向き・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ほかのものであるならば、紙幣を焼いたならば紙幣を償うことができる、家を焼いたならば家を建ててやることもできる、しかしながら思想の凝って成ったもの、熱血を注いで何十年かかって書いたものを焼いてしまったのは償いようがない。死んだものはモウ活き帰・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・これ確かに富の源でありますが、しかし経済上収支相償うこと尠きがゆえに、かつてはこれを米国に売却せんとの計画もあったくらいであります。ゆえにデンマークの富源といいまして、別に本国以外にあるのでありません。人口一人に対し世界第一の富を彼らに供せ・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・ 宝石商は、この損をきっと償うだけの宝石をもう一度、北の国へいって集めてこなければならないと決心しました。彼の頭の中はそのことでいっぱいになりました。 彼は、昼も夜も、ろくろく眠らずに、宝石のことばかり考えて北の国にやってきました。・・・ 小川未明 「宝石商」
・・・世の中に人間ほど貴い者はない、物はこれを償うことが出来るが、いかにつまらぬ人間でも、一のスピリットは他の物を以て償うことは出来ぬ。しかしてこの人間の絶対的価値ということが、己が子を失うたような場合に最も痛切に感ぜられるのである。ゲーテがその・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・ けだし意味深遠なる著書は読者の縁もまた遠くして、発兌の売買上に損益相償うを得ず、これを流行近浅の雑書に比すれば、著作の心労は幾倍にして、所得の利益は正しくその割合に少なし。大著述の世に出でざるも偶然に非ざるなり。いずれも皆、学問上には・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・強いて実行せんとすれば、其便利は以て弊害を償うに足らざることある可し。我輩の窃に恐るゝ所なり。蓋し男女交際法の尚お未熟なる時代には、両性の間、単に肉交あるを知て情交あるを知らず、例えば今の浮世男子が芸妓などを弄ぶが如き、自から男女の交際とは・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
出典:青空文庫