・・・ただこれぎりなら夏らしくもないが、さて一種の濁った色の霞のようなものが、雲と雲との間をかき乱して、すべての空の模様を動揺、参差、任放、錯雑のありさまとなし、雲を劈く光線と雲より放つ陰翳とが彼方此方に交叉して、不羈奔逸の気がいずこともなく空中・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・廊下へはどこからも光線が這入らなかった。薄暗くて湿気があった。地下室のようだ。彼は、そこを、上等兵につれられて、垢に汚れた手すりを伝って階段を登った。一週間ばかりたった後のことだ。二階へ上るとようよう地下室から一階へ上った来たような気がした・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・山にはよく自分の身体の影が光線の投げられる状態によって、向う側へ現われることがありまする。四人の中にはそういう幻影かと思った者もあったでしょう、そこで自分たちが手を動かしたり身体を動かして見たところが、それには何らの関係がなかったと申します・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・わずかばかりの庭を前にした南向きの障子からは、家じゅうでいちばん静かな光線がさして来ている。東は窓だ。二枚のガラス戸越しに、隣の大屋さんの高い塀と樫の樹とがこちらを見おろすように立っている。その窓の下には、地下室にでもいるような静かさがある・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ とろとろと、眠りかけて、ふと眼をあけると、雨戸のすきまから、朝の光線がさし込んでいるのに気附いて、起きて身支度をして坊やを脊負い、外に出ました。もうとても黙って家の中におられない気持でした。 どこへ行こうというあてもなく、駅のほう・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・ 突然明らかな光線が室に射したと思うと、扉のところに、西洋蝋燭を持った一人の男の姿が浮き彫りのように顕われた。その顔だ。肥った口髭のある酒保の顔だ。けれどその顔にはにこにこしたさっきの愛嬌はなく、まじめな蒼い暗い色が上っていた。黙って室・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・トランペットやトロンボンのはげしい爆音の林立が斜めに交互する槍の行列のような光線で示されるところもあったようである。 なんだかちっともわからないようで、しかしなんだか妙におもしろいものである。これと非常によく似たものが他にどこかにあるよ・・・ 寺田寅彦 「踊る線条」
・・・どの家にも必ず付いている物干台が、小な菓子折でも並べたように見え、干してある赤い布や並べた鉢物の緑りが、光線の軟な薄曇の昼過ぎなどには、汚れた屋根と壁との間に驚くほど鮮かな色彩を輝かす。物干台から家の中に這入るべき窓の障子が開いている折には・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・このアチックに洩れて来る光線は皆頭の上から真直に這入る。そうしてその頭の上は硝子一枚を隔てて全世界に通ずる大空である。眼に遮るものは微塵もない。カーライルは自分の経営でこの室を作った。作ってこれを書斎とした。書斎としてここに立籠った。立籠っ・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・私は、光線は誰に属すべきものかという問題の方が、監獄にあっては、現在でも適切な命題と考える。 小さな葉、可愛らしい花、それは朝日を一面に受けて輝きわたっているではないか。 総べてのものは、よりよく生きようとする。ブルジョア、プロレタ・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
出典:青空文庫