・・・お前は、さすがに出征兵士の妻だけあって、感心だ、感心だ。」などと、まことに下手なほめ方をして外套を脱ぎ、もともと、もう礼儀も何も不要な身内の家なのですから、のこのこ上り込んで炉傍に大あぐらをかき、「ばばちゃは、寝たか。」とたずねます。・・・ 太宰治 「嘘」
・・・朝、登校の途中、一個小隊くらいの兵士とすれちがった時、思いがけなく大声で、「修ッちゃあ!」と呼ばれて仰天した。中畑さんが銃を担いで歩いているのである。帽子をあみだにかぶっていた。予備兵の演習召集か何かで訓練を受けていたのであろう。中畑さ・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・若き兵士たり。恥かしくて死にそうだ。眼を閉じるとさまざまの、毛の生えた怪獣が見える。なあんてね。笑いながら厳粛のことを語る。と。「笠井一」にはじまり、「厳粛のことを語る。と。」にいたるこの数行の文章は、日本紙に一字一字、ていねいに毛筆で・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・はッと思って見ると、血がだらだらと暑い夕日に彩られて、その兵士はガックリ前にった。胸に弾丸があたったのだ。その兵士は善い男だった。快活で、洒脱で、何ごとにも気が置けなかった。新城町のもので、若い嚊があったはずだ。上陸当座はいっしょによく徴発・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・事業もせずに、戦場へ兵士となってさえ行かれずに」こう思うと、その青年、田舎に埋もれた青年の志ということについて、脈々とした哀愁が私の胸を打った。つづいて、『親々と子供』の中の墓場のシーンが眼に浮かんできた。バザロフとはまるで違ってはいるけれ・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・遠くから聞こえて来る太鼓の音に聞き耳をたてるヒロインの姿から、一隊の兵士の行進している長い市街のヴィスタが呼び出され描き出される。霧の甲板にひびく汽笛の音とその反響によってある港の夜の空間が忽然として観客の頭の中に広がるのである。 音が・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・その果てなき地平線のただ中をさして一隊の兵士が進む。前と同じ単調な太鼓とラッパの音がだんだんに遠くなって行く。野羊を引きふろしき包みを肩にしたはだしの土人の女の一群がそのあとにつづく。そうしていちばんあとから見えと因襲の靴を踏み脱ぎすてたヒ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・警備の巡査、兵士、それから新聞社、保険会社、宗教団体等の慰問隊の自動車、それから、なんの目的とも知れず流れ込むいろいろの人の行きかいを、美しい小春日が照らし出して何かお祭りでもあるのかという気もするのであった。今度の地震では近い所の都市が幸・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・そうして水練の上手な兵士を三十人選抜して、秋山大尉を捜させようと云うんだ。その人選のなかへ、私のとこの忰も入ったのさね。」 吉兵衛さんの顔が、紅く火照って来た。そして口にする間もない煙管を持ったまま、火鉢の前に立膝をしていた。鼻の下にす・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・然しこの書は明治十年西南戦争の平定した後凱旋の兵士が除隊の命を待つ間一時谷中辺の寺院に宿泊していた事を記述し、それより根津駒込あたりの街の状況を説くこと頗精細である。是亦明治風俗史の一資料たることを失わない。殊に根津遊廓のことに関しては当時・・・ 永井荷風 「上野」
出典:青空文庫