・・・櫓を環る三々五々の建物には厩もある。兵士の住居もある。乱を避くる領内の細民が隠るる場所もある。後ろは切岸に海の鳴る音を聞き、砕くる浪の花の上に舞い下りては舞い上る鴎を見る。前は牛を呑むアーチの暗き上より、石に響く扉を下して、刎橋を鉄鎖に引け・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・だが日本の兵士たちは、もっと勇敢で規律正しく、現実的な戦意に燃えていた。彼らは銃剣で敵を突き刺し、その辮髪をつかんで樹に巻きつけ、高粱畠の薄暮の空に、捕虜になった支那人の幻想を野曝しにした。殺される支那人たちは、笛のような悲声をあげて、いつ・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・貴方は普通の兵士ですよ。戦争の時、死ぬ為に、平生から扶持を受けてる人達とは違ってよ。兄さん自分から好んで、』 強い咳払いを一つ、態と三つまで続けて、其女の方の言葉を紛らそうとしたのは、其兄上らしい三十近い兵士さんでした。それで、其兵士の・・・ 広津柳浪 「昇降場」
人物 バナナン大将。 特務曹長、 曹長、 兵士、一、二、三、四、五、六、七、八、九、十。場処 不明なるも劇中マルトン原と呼ばれたり。時 不明。幕あく。砲弾にて破損せる・・・ 宮沢賢治 「饑餓陣営」
・・・士卒は兵士としての絶対の避くべからざる任務に服している。その間へ、銃をとって絶対に戦わなければならないでもない作家、一面には社と社との激烈な競争によって刺戟され、一面には報道陣の戦死としての矜りから死を突破しようとさえする従軍記者でもない作・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・また日本軍の兵士たちに対して。 一九四八年ごろから、日本におこっている平和と自由と独立のための広く大きい戦線は、十数年前の、この文化擁護の運動の経験から多くのものを学びとっている。こんにち、平和擁護と独立のために自身の立場をあきらかにし・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・土民を射撃することを正当化されているリビヤ土人の一隊である。人間再出発の重大なモメントである土民との接触の面は、この映画で軍事的なものの外は見落されている。土民兵士の日常生活、彼等の白い被衣をかぶった妻子たちとの暮しぶり等は一つも画面に取り・・・ 宮本百合子 「イタリー芸術に在る一つの問題」
・・・ 今や諧謔の徒は周囲の人を喜ばすためにかれをして『糸くず』の物語をやってもらうようになった、ちょうど戦場に出た兵士に戦争談を所望すると同じ格で。あわれかれの心は根底より壊れ、次第に弱くなって来た。 十二月の末、かれはついに床についた・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・何ぜなら、コルシカの平民ナポレオンが、オーストリアの皇女ハプスブルグのかくも若く美しき娘を持ち得たことは、彼がヨーロッパ三百万の兵士を殺して贏ち得た彼の版図の強大な力であったから。彼はルイザを見たと同時に、油を注がれた火のようにいよいよロシ・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・丁度、そうして夕暮れ鉄材を積んだ一隊の兵士と出会った場所まで来たとき、溌剌としていた昼間の栖方を思い出し、やっと梶は云った。「しかし、君、そういうところから人間の生活は始まるのだから、あなたもそろそろ始まって来たのですよ。何んでもないの・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫