・・・上使の趣は、「其方儀乱心したとは申しながら、細川越中守手疵養生不相叶致死去候に付、水野監物宅にて切腹被申付者也」と云うのである。 修理は、上使の前で、短刀を法の如くさし出されたが、茫然と手を膝の上に重ねたまま、とろうとする気色もない。そ・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・ 思わず、そのとき渠は蹲んだ、そして煙草を喫んだ形は、――ここに人待石の松蔭と同じである―― が、姿も見ないで、横を向きながら、二服とは喫みも得ないで、慌しげにまた立つと、精々落着いて其方に歩んだ。畠を、ややめぐり足に、近づいた時で・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・好き連と思い伴いて道すがら語りけるは、ここには朱の盤とて隠れなき化物あるよし、其方も聞及び給うかと尋ぬれば、後より来る若侍、その化物はかようの者かと、俄に面替り眼は皿のごとくにて額に角つき、顔は朱のごとく、頭の髪は針のごとく、口、耳の脇まで・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・貴女、時を計って、その鸚鵡の釵を抜いて、山の其方に向って翳すを合図に、雲は竜のごとく湧いて出よう。――なおその上に、可いか、名を挙げられい。……」――賢人の釣を垂れしは、厳陵瀬の河の水。月影ながらもる夏は、山田の筧の水と・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ 時に履物の音高く家に入来るものあるにぞ、お貞は少し慌だしく、急に其方を見向ける時、表の戸をがたりとあけて、濡手拭をぶら提げつつ、衝と入りたる少年あり。 お貞は見るより、「芳さんかえ。」「奥様、ただいま。」 と下駄を脱ぐ・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・されど今憖に鷲の首などと謂う時は、かの恐しき魔法使の整え来ぬとも料り難く因りて婆々が思案には、(其方の言分承知したれど、親の許のなくてはならず、母上だに引承たまわば何時にても妻とならん、去ってまず母上に請来と、かように貴娘が仰せられし、と私・・・ 泉鏡花 「妖僧記」
・・・憖いに早まって虎狼のような日傭兵の手に掛ろうより、其方が好い。もう好加減に通りそうなもの、何を愚頭々々しているのかと、一刻千秋の思い。死骸の臭気は些も薄らいだではないけれど、それすら忘れていた位。 不意に橋の上に味方の騎兵が顕れた。藍色・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・が、しかし主人真蔵の平常の優しい心から遂にこれを許すことになった。其方で木戸を丈夫に造り、開閉を厳重にするという条件であったが、植木屋は其処らの籔から青竹を切って来て、これに杉の葉など交ぜ加えて無細工の木戸を造くって了った。出来上ったのを見・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・しかし此頃に成って見ると矢張仕事ばかりじゃア、有る時や無い時が有って結極が左程の事もないようだし、それに家にばかりいるとツイ妹や弟の世話が余計焼きたくなって思わず其方に時間を取られるし……ですから矢張半日ずつ、局に出ることに仕ようかとも思っ・・・ 国木田独歩 「二少女」
・・・私はお蝶さんという方を大層好いて居て、其方をたよりにばかりして居た。其方に手を執って世話を仕て貰うと清書なども能く出来るような気が仕た。お蝶さんという方は後に關先生の家の方になられた。其頃習うたものは、「いろは」を終って次が「上大人丘一巳」・・・ 幸田露伴 「少年時代」
出典:青空文庫