・・・そのおかげで帝都の復興が立派にできて、そうして七年後の今日における円タクの洪水、ジャズ、レビューのあらしが起こったのかもしれない。 三島の町の復旧工事の早いのにも驚いた。この様子では半月もたった後に来て見たらもう災害の痕跡はきれいに消え・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・そうだとすれば実にかわいそうな父子である。円タクでも呼んで乗せて送ってやってもしかるべきであったという気がした。 しかし、また考えてみると、近ごろ新聞などでよく、電車切符を人からねだっては他の人に売りつける商売があるという記事を見ること・・・ 寺田寅彦 「蒸発皿」
・・・ 翌日の午後彼が大学正門を出て大急ぎで円タクに飛び乗ると、なんと思い違えたものか車掌がいきなり「どちらが勝ちましたか」と聞くのであった。しかしそれが当然その日の早慶野球第三回戦に関する問いであることが、車掌にも彼にも自明的であったほ・・・ 寺田寅彦 「野球時代」
・・・わたくしは円タクの窓にもしばしば同じような花のさしてあるのを思い合せ、こういう人たちの間には何やら共通な趣味があるような気がした。 上框の板の間に上ると、中仕切りの障子に、赤い布片を紐のように細く切り、その先へ重りの鈴をつけた納簾のよう・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・ それで気がついて左側を見ると、もう七分どおり大戸をおろした店のまわりなどまだらな光の裡に、ステッキをつき、浴衣がけで、走っている円タクを止めるでもなく、ぶらりと立っている男が、そこここに目に入る。私はいやな気持で通りすぎた。 その・・・ 宮本百合子 「電車の見えない電車通り」
・・・東京の円タクはガソリン・スタンド廃業というようなことがある位で一日二ガロン半とかも手に入りにくい時があるらしいが、あちらはどうやらやりくっているから助ります。 今年の冬から、日本じゅうお米が七分搗になります。ビルディングの暖房もずっと減・・・ 宮本百合子 「二人の弟たちへのたより」
・・・それからまた別の日に、私は団子坂のところで流しの円タクをひろった。ドアをしめて、腰をおろし、車が動き出したと思ったら、左手の窓のすぐ横のところには一人の若い女のひとの顔が見えた。かすかな笑いの影が眼のなかにあって、静かにこっちを見ている。再・・・ 宮本百合子 「歴史の落穂」
出典:青空文庫