・・・ 橙背広のこの紳士は、通り掛りの一杯機嫌の素見客でも何でもない。冷かし数の子の数には漏れず、格子から降るという長い煙草に縁のある、煙草の脂留、新発明螺旋仕懸ニッケル製の、巻莨の吸口を売る、気軽な人物。 自から称して技師と云う。 ・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・……私がついていますから、冷かしはしませんから、よく、お拝みなさいましよね。 ――さん。」「糸塚……初路さんか。糸塚は姓なのかね。」「いいえ、あら、そう……おじさんは、ご存じないわね。 ――糸塚さん、糸巻塚ともいうんですって・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・ て』冷かしてやったんけど大した意気込みで不平を云うとって、取り合わん。『こないなことなら、いッそ、割腹して見せてやる』とか、『鉄砲腹をやってやる』とか、なかなか当るべからざる勢いであったんや。然し、いよいよ僕等までが召集されることになって・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・ 一七 その後、吉弥に会うたびごとに、おこって見たり、冷かして見たり、笑って見たり、可愛がって見たり――こッちでも要領を得なければ、向うでもその場、その場の商売ぶり。僕はお袋が立つ時にくれぐれ注意したことなどは全く無・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・私は今人の筆蹟なぞに特別の興味を持ってるのではないが、数年前に知人の筆蹟を集めて屏風を作ろうと思立った時、偶然或る処で鴎外に会ったので一枚書いてくれというと、また冷かしの種にするんだろうと笑って応じてくれそうもなかった。「そんな事をいわずに・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・その時分はマダ今ほど夫婦連れ立って歩く習慣が流行らなかったが、沼南はこの艶色滴たる夫人を出来るだけ極彩色させて、近所の寄席へ連れてったり縁日を冷かしたりした。孔雀のような夫人のこの盛粧はドコへ行っても目に着くので沼南の顔も自然に知られ、沼南・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・踊りの帰りは視線のほかに冷やかしの言葉が飛んだ。そんな時安子は、「何さ鼻たれ小僧!」と言い返しざまにひょいと家の中へ飛び込むのだったが、その連中の中に魚屋の鉄ちゃんの顔がまじっていると安子はもう口も利けず、もじもじと赫くなり夏の宵の悩ま・・・ 織田作之助 「妖婦」
・・・となおも冷かし顔。 ようございます。いつまでもお弄りなさいまし。父様はね、そんな風でね、私なんぞのこともね、蔭ではどんなに悪く言っていらっしゃるか知れはしないわ。これからは私アもう、父様のおっしゃったことを真実にしないからようござんす。・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・ 判事の岡さんが何か言って叔父さんを冷やかしたようであったが僕は眠ってよく聞き取れなかった。『徳さん徳さん』と呼ぶ声がしたと思うと、太い手が僕の肩を揺さぶった。僕はすぐ今井の叔父さんだなと思った。『徳さん、起きた起きた、着いたぞ、さ・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・お俊はしきりに私の世話を焼いて、飯まで炊いてくれることもあり、菜ができると持って来てくれる、私の役所から帰らぬうちにちゃんと晩の仕度をしてくれることもあり、それですから藤吉がある時冷かしまして、『お前はこのごろ亭主が二人できたから忙がしいな・・・ 国木田独歩 「女難」
出典:青空文庫