・・・ そう云う声の湧き上る中に、冷汗になったオルガンティノは、何か苦しそうに叫んだきりとうとうそこへ倒れてしまった。……… その夜も三更に近づいた頃、オルガンティノは失心の底から、やっと意識を恢復した。彼の耳には神々の声が、未だに鳴り響・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・この様を見たる喜左衛門は一時の怒に我を忘れ、この野郎、何をしやがったと罵りけるが、たちまち御前なりしに心づき、冷汗背を沾すと共に、蹲踞してお手打ちを待ち居りしに、上様には大きに笑わせられ、予の誤じゃ、ゆるせと御意あり。なお喜左衛門の忠直なる・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・杜子春は漸く安心して、額の冷汗を拭いながら、又岩の上に坐り直しました。 が、そのため息がまだ消えない内に、今度は彼の坐っている前へ、金の鎧を着下した、身の丈三丈もあろうという、厳かな神将が現れました。神将は手に三叉の戟を持っていましたが・・・ 芥川竜之介 「杜子春」
・・・私は冷汗を拭いながら、私の見た超自然な現象を、妻に打明けようかどうかと迷いました。が、心配そうな妻の顔を見ては、どうして、これが打明けられましょう。私はその時、この上妻に心配させないために、一切第二の私に関しては、口を噤もうと決心したのでご・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・――(何とかじゃ築地へ帰――何の事だかわかりませんがね、そういって番頭を威かせ、と言いつかった通り、私が使に行ったんです。冷汗を流して、談判の結果が三分、科学的に数理で顕せば、七十と五銭ですよ。 お雪さんの身になったらどうでしょう。じか・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・が、いかな事にも、心を鬼に、爪を鷲に、狼の牙を噛鳴らしても、森で丑の時参詣なればまだしも、あらたかな拝殿で、巫女の美女を虐殺しにするようで、笑靨に指も触れないで、冷汗を流しました。…… それから悩乱。 因果と思切れません……が、・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・ 人の胃袋の加減や腹工合はどうであろうと、私が腑に落ちないと申しますのはここなんでございますが、その時はただもう冷汗びッしょり、穴へでも入りたい気になりまして、しおしお片隅の氷のような腰掛へ下りました。 後馳せにつかつかと小走に入り・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ と汚い病苦の冷汗に……そよそよと風を恵まれた、浅葱色の水団扇に、幽に月が映しました。…… 大恩と申すはこれなのです。―― おなじ年、冬のはじめ、霜に緋葉の散る道を、爽に故郷から引返して、再び上京したのでありますが、福井までには・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・が、ぱらぱらと落ちかかる巌膚の清水より、私たちは冷汗になった。乗違えた自動車は、さながら、蔽いかかったように見えて、隧道の中へ真暗に消えたのである。 主人が妙に、寂しく笑って、「何だか、口の尖がった、色の黒い奴が乗っていたようですぜ・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・先刻も先刻、今も今、優しいこと、嬉しいこと、可愛いことを聞くにつけ、云おう云おうと胸を衝くのは、罪も報いも無いものを背後からだまし打に、岩か玄翁でその身体を打砕くような思いがして、俺は冷汗に血が交った。な、こんな思をするんだもの、よくせきな・・・ 泉鏡花 「湯島の境内」
出典:青空文庫