・・・そして凝り上がるほど肩をそびやかして興奮していた自分を後ろめたく見いだした。父はさらに言葉を続けた。「こんな小さな農場一つをこれだけにするのにも俺しがどれほど苦心をしたかお前は現在見ていたはずだ。いらざる取り越し苦労ばかりすると思うかも・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ところが、そんな寺田がふとしたことから競馬に凝りだしたのだから、人間というものはなかなか莫迦にならない。 寺田は一代が死んで間もなく史学雑誌の編輯をやめさせられた。看病に追われて怠けていた上、一代が死んだ当座ぽかんとして半月も編輯所へ顔・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・いわば坂田の将棋を見てくれという自信を凝り固めた頑固なまでに我の強い手であったのだ。大阪の人らしい茶目気や芝居気も現れている。近代将棋の合理的な理論よりも我流の融通無碍を信じ、それに頼り、それに憑かれるより外に自分を生かす道を知らなかった人・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・ もともと潔癖性の女だったが、宗教に凝り出してからは、ますますそれがひどくなって食事の前に箸の先を五分間も見つめていることがある。一日に何十回も手を洗う。しまいには半時間も掛って洗っているようになり、洗って居間へ戻る途中廊下で人にすれ違・・・ 織田作之助 「世相」
・・・目には土地の天狗番付に針の先で書いたような字で名前が出て、間もなく登勢が女の子を生んだ時は、お、お、お光があってお染がなかったら、の、の、野崎村になれへんさかいにと、子供の名をお染にするというくらいの凝り方で、千代のことは鶴千代と千代萩で呼・・・ 織田作之助 「螢」
・・・ 蝶子と柳吉はやがて浄瑠璃に凝り出した。二ツ井戸天牛書店の二階広間で開かれた素義大会で、柳吉は蝶子の三味線で「太十」を語り、二等賞を貰った。景品の大きな座蒲団は蝶子が毎日使った。・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・泡立つ杯は月の光に凝りて琥珀の珠のようなり。二郎もわれもすでに耳熱し気昂れり。月はさやかに照りて海も陸もおぼろにかすみ、ここかしこの舷燈は星にも似たり。 げに見るに忍びざりき、されど彼女自ら招く報酬なるをいかにせん、わがこの言葉は二郎の・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・この頃主人政元はというと、段魔法に凝り募って、種の不思議を現わし、空中へ飛上ったり空中へ立ったりし、喜怒も常人とは異り、分らぬことなど言う折もあった。空中へ上るのは西洋の魔法使もする事で、それだけ永い間修業したのだから、その位の事は出来たこ・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・三つ、四つと紹介をしているうちに、読者にも、黄村先生の人格の全貌 黄村先生が、山椒魚なんて変なものに凝りはじめた事に就いては、私にも多少の責在りとせざるを得ない。早春の或る日、黄村先生はれいのハンチング(ばかに派手な格子縞そのハンチング・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・犬に飽きて来たら、こんどは自分で拳闘に凝り出した。中学で二度も落第して、やっと卒業した春に、父と乱暴な衝突をした。父はそれまで、勝治の事に就いては、ほとんど放任しているように見えた。母だけが、勝治の将来に就いて気をもんでいるように見えた。け・・・ 太宰治 「花火」
出典:青空文庫