・・・僕は恒藤の親友なりしかど、到底彼の如くに几帳面なる事能わず、人並みに寝坊をし、人並みに夜更かしをし、凡庸に日を送るを常としたり。 恒藤は又秀才なりき。格別勉強するとも見えざれども、成績は常に首席なる上、仏蘭西語だの羅甸語だの、いろいろの・・・ 芥川竜之介 「恒藤恭氏」
・・・要するに、作者自身の生活に感激がないから、その作品が凡庸に堕するのである。私は現実というものがそんな平凡無味なものと信じないと共に、また如何に作の形式ばかりが変ったからとてそれが直ちに現実を超越したものだとも考えない。現実主義は言い換えれば・・・ 小川未明 「囚われたる現文壇」
・・・ はじめ清澄山で師事した道善房は凡庸の好僧で情味はあったが、日蓮の大志に対して善知識たるの器ではなかった。ただ蔵経はかなり豊富だったので、彼は猛烈な勉強心を起こして、三七日の断食して誓願を立て、人並みすぐれて母思いの彼が訪ね来た母をも逢・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・『八犬伝』の中の左母二郎などという男は、凡庸人物というよりもやや奸悪の方の人物でありますが、まさに馬琴の同時代に沢山生存して居たところの人物でありまして、それらの一種の色男がり、器用がり、人の機嫌を取ることが上手で、そして腹の中は不親切・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・感情が測られず、超常的言語など発するというのは、もともと普通凡庸の世界を出たいというので修業したのだから、修業を積めばそうなるのは当然の道理で、ここが慥に魔法の有難いところである。政元からいえば、どうも変だ、少し怪しい、などといっている奴は・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・その眼前の、凡庸な風景に、おめぐみ下さい、とつくづく祈っている姿である。蟹に、似ていた。四、五年まえまでの笠井さんは、決してこんな人ではなかったのである。すべての自然の風景を、理智に依って遮断し、取捨し、いささかも、それに溺れることなく、謂・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・を出すことがあっても、それは凡庸な、おっとりした歯がゆいほどに善良な傍観者として、物語の外に全然オミットされるような性格として叙述されて在る。ドイルだって、あの名探偵の名前を、シャロック・ホオムズではなく、もっと真実感を肉薄させるために、「・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・芸術家でない凡庸作者がいたずらに皮相的模倣を志していかにカメラの角度を超自然的にねじ回そうとしても到底それだけで得らるべきものではない。こういう意味ではおそらくあらゆる他の国々の作者よりもロシアの作者が断然一頭地をぬいているように私にも思わ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・そうして凡庸な探偵はいつも見当ちがいの所へばかり目をつけて、肝心な罪人を取り逃がしている、その間に名探偵は、いろいろなデマやカムフラージに迷わされず、確実な実証の連鎖をじりじりとたぐって、運命の神自身のように一歩一歩目的に迫進するのである。・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・例えば若い教授または助教授が研究している研究題目あるいは研究の仕振りが先輩教授から見て甚だ凡庸あるいは拙劣あるいは不都合に「見える」場合には、自然に且つ多くの場合に当事者の無意識の間に、色々の拘束障害が発生して来て、その研究は結局中止するか・・・ 寺田寅彦 「学問の自由」
出典:青空文庫