・・・然りといえども、学者中たといこの臭気の人物ありとするも、これを処することまた、はなはだ易し。まず利禄をもっていえば、学校の官私を問わず、俸給はいぜんとして旧の如くなるべし。また、利禄をさりて身分の一段にいたりては、帝室より天下の学者を網羅し・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・すでに不如意なるを知らば、その不如意に処するの法を案ずるこそ緊要なれ。前にいえる如く、少年輩がややもすれば経世の議論を吐き、あるいは流行の政談に奔走して、無益に心身を労し、はなはだしきは国安妨害の弊に陥るが如きは、元とその輩の無勘弁なるがた・・・ 福沢諭吉 「経世の学、また講究すべし」
・・・左れば生者が死者に対して情を尽すは言うまでもなく、懐旧の恨は天長地久も啻ならず、此恨綿々絶ゆる期なしと雖も、冥土人間既に処を殊にすれば、旧を懐うの人情を以て今に処するの人事を妨ぐ可らず。一瞥心機を転じて身外の万物を忘れ、其旧を棄てゝ新惟れ謀・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・即ち家に居るの徳義よりも、世に処するの徳義を専らにするものの如し。この一点において我輩が見る所を異にすると申すその次第は、敢えて論者の道徳論を非難するにはあらざれども、前後緩急の別について問う所のものなきを得ざるなり。 世界開闢の歴史を・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・ もとより直接に事物を教えんとするもでき難きことなれども、その事にあたり物に接して狼狽せず、よく事物の理を究めてこれに処するの能力を発育することは、ずいぶんでき得べきことにて、すなわち学校は人に物を教うる所にあらず、ただその天資の発達を・・・ 福沢諭吉 「文明教育論」
・・・現代に処する女としての新しい義務は、今日欲する欲しないにかかわらず新しく増大され、拡大されつつある女の生活経験と、すくなからぬ犠牲との中から、やがて婦人全体の幸福を増す何ものかをつかんで来ようとする根強い努力にあるのである。〔一九三七年十二・・・ 宮本百合子 「新しい婦人の職場と任務」
・・・女としての境遇に処するということのうちに、おのずからその境遇に向う自身の態度というものが加わって来て、その積極な自覚は、新しく見開かれた眼差しで、ぐるりの女同士の暮しぶりを見直させるであろう。そこにやはりあちらでもそのような視線をもって周囲・・・ 宮本百合子 「異性の間の友情」
・・・白鳥が坪内先生によって文学の道を学んだのみならず、生死に処する道をも学んだと云っているのも興味がある。財産を大学に寄付し、しかも生活は安定であり得る方法において生死に処する道が見出されている。そこを白鳥が教えられたと感じているところ。 ・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・人、及び女として自ら覚めた者こそ、始めて、彼女が人類の一員として奉仕すべき自他の関係を発見し、其に処する力を与えられます。先ず女人として深く力強く呼吸した彼女等が、社会の有機的存在の一員として、人格の独立の為に要求し把掴したのが、法律的並び・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・正宗白鳥氏が先日、逍遙博士は文学の師であるばかりでなく生死に処する道を教えた方であるという感想を書いておられたが、私は坪内先生の一生をあるべきとこにあって完璧たらしめた先生の聰明、努力、達見、現実性を学ぶとすれば、それは私の時代のものにとっ・・・ 宮本百合子 「坪内先生について」
出典:青空文庫