・・・それさえちゃんとわかっていれば、我々商人は忽ちの内に、大金儲けが出来るからね」「じゃ明日いらっしゃい。それまでに占って置いて上げますから」「そうか。じゃ間違いのないように、――」 印度人の婆さんは、得意そうに胸を反らせました。・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・Mは毎年学校の水泳部に行っていたので、とにかくあたり前に泳ぐことを知っていましたが、私は横のし泳ぎを少しと、水の上に仰向けに浮くことを覚えたばかりですし、妹はようやく板を離れて二、三間泳ぐことが出来るだけなのです。 御覧なさい私たちは見・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・こう思って、きょうの処刑の状況、その時の感じを、跡でどんなにか目に見るように、面白く活気のあるように、人に話して聞かせることが出来るだろうということも考えて見た。 同時にフレンチは興味を持って、向側の美しい娘を見ている。その容色がある男・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・レリヤは平手で膝を打って出来るだけ優しい声で呼んだ。それでも来ないので、自分が犬の方へ寄って来た。しかし迂濶に側までは来ない。人間の方でも噛まれてはならぬという虞があるから。「クサチュカ、どうもするのじゃないよ。お前は可哀い眼付をして居・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・A のみならず、五も七も更に二とか三とか四とかにまだまだ分解することが出来る。歌の調子はまだまだ複雑になり得る余地がある。昔は何日の間にか五七五、七七と二行に書くことになっていたのを、明治になってから一本に書くことになった。今度はあれを・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・……遊山旅籠、温泉宿などで寝衣、浴衣に、扱帯、伊達巻一つの時の様子は、ほぼ……お互に、しなくっても可いが想像が出来る。膚を左右に揉む拍子に、いわゆる青練も溢れようし、緋縮緬も友染も敷いて落ちよう。按摩をされる方は、対手を盲にしている。そこに・・・ 泉鏡花 「怨霊借用」
・・・従令文学などの嗜みなしとするも、茶の湯の如きは深くも浅くも楽むことが出来るのである、最も生活と近接して居って最も家族的であって、然も清閑高雅、所有方面の精神的修養に資せられるべきは言うを待たない、西洋などから頻りと新らしき家庭遊技などを・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・どうせ一度はさがされて見つけ出されるものを、「お前が早く出れば何の事もなくて助る事の出来る親を自分が出ない許っかりに親を殺してしまってほんとうにこれまでためしのない親不孝の女だ」とにくまないものはなかった。・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・世の中が楽しいなぞという未練が残ってる間は、決して出来るものじゃアない。軍紀とか、命令とかいうもので圧迫に圧迫を加えられたあげく、これじゃアたまらないと気がつく個人が、夢中になって、盲進するのだ。その盲進が戦争の滋養物である様に、君の現在で・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・天保の饑饉年にも、普通の平民は余分の米を蓄える事が許されないで箪笥に米を入れて秘したもんだが、淡島屋だけは幕府のお台を作る糊の原料という名目で大びらに米俵を積んで置く事が出来る身分となっていた。が、富は界隈に並ぶ者なく、妻は若くして美くしく・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
出典:青空文庫