・・・ 油断をつかれたように、母親はびっくりした。出発の前晩まで、母親はいろいろにくどいた。父親はだまっていたが、勿論賛成ではなかった。しかし三吉は、高島を福岡へおっかけよう、そこで紹介状をもらって、ボルの東京へゆこう、それだけを心のなかにき・・・ 徳永直 「白い道」
・・・われわれが新橋の停車場を別れの場所、出発の場所として描写するのも、また僅々四、五年間の事であろう。 今では日吉町にプランタンが出来たし、尾張町の角にはカフェエ・ギンザが出来かかっている。また若い文学者間には有名なメイゾン・コオノスが小網・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・ 四十余年間の歴史を見ると、昔は理想から出立した教育が、今は事実から出発する教育に変化しつつあるのであります、事実から出発する方は、理想はあるけれども実行は出来ぬ、概念的の精神に依って人は成立する者でない、人間は表裏のあるものであるとし・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・始め停車場を出発した時、汽車はレールを真直に、東から西へ向って走っている。だがしばらくする中に、諸君はうたた寝の夢から醒める。そして汽車の進行する方角が、いつのまにか反対になり、西から東へと、逆に走ってることに気が付いてくる。諸君の理性は、・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・それだから、お前さんが得心した上で、平田を故郷へ出発せたいと、こうして平田を引ッ張ッて来るくらいだ。不実に考えりゃア、無断で不意と出発て行くかも知れない。私はともかく、平田はそんな不実な男じゃない、実に止むを得ないのだ。もう承知しておくれだ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・もう出発に間もないのです。「ぼく、くつが小さいや。めんどうくさい。はだしでいこう。」「そんならぼくのとかえよう。ぼくのはすこし大きいんだよ。」「かえよう。あ、ちょうどいいぜ。ありがとう。」「わたしこまってしまうわ、おっかさん・・・ 宮沢賢治 「いちょうの実」
・・・ 汽車が秋田市を出発して間もなく、窓の左右は目もはるかな稲田ばかりの眺めとなった。はるか左側に雄大な奥羽山脈をひかえ、右手に秋田の山々が見える。その間の盆地数十里の間、行けど、行けど、青々と茂った稲ばかりである。 関東の農村は、汽車・・・ 宮本百合子 「青田は果なし」
・・・の大名の晴れ晴れしい行列に前後を囲ませ、南より北へ歩みを運ぶ春とともに、江戸を志して参勤の途に上ろうとしているうち、はからず病にかかって、典医の方剤も功を奏せず、日に増し重くなるばかりなので、江戸へは出発日延べの飛脚が立つ。徳川将軍は名君の・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・ ツァウォツキイは早速出発して、遠い遠い道を歩いた。とうとうノイペスト製糸工場の前に出た。ツォウォツキイは工場で「こちらで働いていました後家のツァウォツキイと申すものは、ただ今どこに住まっていますでしょうか」と問うた。 住まいは分か・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・しかもその出発よりよほど後に、たぶん五世紀の初めごろに、人物の埴輪が現われ出たとなると、この埴輪の稚拙さが日本の原始芸術の怪奇性と全く縁のないものであることは、一層明らかであろう。 埴輪人形の稚拙さについて第二に注目すべき点は、この造形・・・ 和辻哲郎 「人物埴輪の眼」
出典:青空文庫