・・・脩心学とはこの理に基き、是非曲直を分ち、礼義廉節を重んじ、これを外にすれば政府と人民との関係、これを内にすれば親子夫婦の道、一々その分限を定め、その職分を立て、天理にしたがいて人間に交わるの道を明らかにする学問にて、ひっきょう霊心の議論なり・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・明治四年廃藩のころ、中津の旧官員と東京の慶応義塾と商議の上、旧知事の家禄を分ち旧藩の積金と合して洋学の資本となして、中津の旧城下に学校を立ててこれを市学校と名けたり。学校の規則もとより門閥貴賤を問わずと、表向の名に唱るのみならず事実にこの趣・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・ 学校の内を二に分ち、男女ところを異にして手習せり。すなわち学生の私席なり。別に一区の講堂ありて、読書・数学の場所となし、手習の暇に順番を定め、十人乃至十五人ずつ、この講堂に出でて教を受く。 一所の小学校に、筆道師・句読師・算術師、・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・一 婦人の妊娠出産は勿論、出産後小児に乳を授け衣服を着せ寒暑昼夜の注意心配、他人の知らぬ所に苦労多く、身体も為めに瘠せ衰うる程の次第なれば、父たる者は其苦労を分ち、仮令い戸外の業務あるも事情の許す限りは時を偸んで小児の養育に助力し、暫く・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・いわんや一国中になお幾多の小区域を分ち、毎区の人民おのおの一個の長者を戴てこれに服従するのみか、つねに隣区と競争して利害を殊にするにおいてをや。 すべてこれ人間の私情に生じたることにして天然の公道にあらずといえども、開闢以来今日に至るま・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・自ら生得の痴愚にあき人生の疲れを予感した末世の女人にはお身の歓びは 分ち与えられないのだろうか真珠母の船にのりアポロンの前駆で生を双手に迎えた幸運のアフロディテ *ああ、劇しい嵐。よい・・・ 宮本百合子 「海辺小曲(一九二三年二月――)」
・・・ まして、現代の日本の男性に表われて居る二つの型――勿論其は至極粗雑な大別ではあっても――は、保守的婦人観と、進歩的婦人観とに分ち得ると思います。 女性の感情の至純さと、素質の平等、一言に云えば夫人の良人に対する知と云うものに尊敬の・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・ 其等の種々な音をにぎやかに立てながら、彼等は堤の草の間をほじったり、追っかけっこをしたりして、四季の分ちなく彼等には無上のものである水を、充分にたのしむのであった。「ああさっぱりした。何と云っても水ほど好い気持なものはないねえ・・・ 宮本百合子 「一条の繩」
・・・坂の途中までのぼった時には、私はこの喜びを愛する者に分かちたい欲望に強くつかまれていた。―― 私は思う、要するにこれが創作の心理ではないのか。生きる事がすなわち表現する事に終わるのではないのか。二 生きるとは活動すること・・・ 和辻哲郎 「創作の心理について」
出典:青空文庫