・・・ 焼け出されたまま落ちつく先のない人々は、日比谷公園や宮城まえなぞに立てならべられた、宮内省の救護用テントの中にはいったり、焼けのこりの板切れなぞをひろいあつめて道ばたにかり小屋をつくり、その中にこごまっていたりして、たき出しをもらって・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・むすめはお母さんの足もとの床の上にすわって、布切れの端を切りこまざいて遊んでいました。「なぜパパは帰っていらっしゃらないの」 とその小さい子がたずねます。 これこそはそのわかいおかあさんにはいちばんつらい問いであるので、答えるこ・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・剃ってあげましょう、と親切に言って下さるので、私は又も断り切れず、ええ、お願いします、と頼んでしまうのでした。くたくたになり、よろめいて家へ帰り、ちょっと仕事をしようかな、と呟いて二階へ這い上り、そのまま寝ころんで眠ってしまうのであります。・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・そしてポルジイの事を知っている人々の間には、ドリスと切れて、身分相応な結婚をするそうだという噂が立った。伯爵家の両親がこの成行に満足して、計略の当ったのを喜ぶことは一通りでない。実に可哀い子には旅をさせろである。 小さい銀行員はまた銀行・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・此処に来た当座は耳に馴れぬ風の夜の波音に目が醒めて、遠く切れ/\に消え入る唄の声を侘しがったが馴れれば苦にもならぬ。宿の者も心安くなってみれば商売気離れた親切もあって嬉しい。雨が降って浜へも出られぬ夜は、帳場の茶話に呼ばれて、時には宿泊人届・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・そしておひろとも手が切れたけれど、どうかするとよその座敷などで、おひろは山根と顔を合わすこともあった。 それに辰之助も長いあいだ、ほとんど地廻りのようにこの巷に足を入れていて、お絹たちとはことに深い馴染なので、芝居見物のことなどで、彼の・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・幸いこんにゃく桶は水がこぼれただけだったが、私の尻餅ついたところや、桶のぶっつかったところは、ちょうど紫色の花をつけたばかりの茄子が、倒れたり千切れたりしているのであった。「なにさ、おやおや――」 玄関の格子戸がけたたましくあいて、・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・ 戦争が長びいて、瓦斯もコークスも使えなくなって、楽屋の風呂が用をなさなくなると、ほどもなく、爺さんは解雇されたと見えて、楽屋口から影の薄い姿を消し、掃除は先の切れた箒で、新顔の婆さんがするようになった。 ○・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・外の三四人が句切れ句切れに囃子を入れて居る。狭い店先には瞽女の膝元近くまで聞手が詰って居る。土間にも立って居る。そうして表の障子を外した閾を越えて往来まで一杯に成って居る。太十も其儘立って覗いて居た。斜に射すランプの光で唄って居る二女の顔が・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・たとい忌わしき絆なりとも、この縄の切れて二人離れ離れにおらんよりはとは、その時苦しきわが胸の奥なる心遣りなりき。囓まるるとも螫さるるとも、口縄の朽ち果つるまでかくてあらんと思い定めたるに、あら悲し。薔薇の花の紅なるが、めらめらと燃え出して、・・・ 夏目漱石 「薤露行」
出典:青空文庫