・・・ わたしと唖々子とは、最初拾円と大きく切出して置けば結局半分より安くなることはあるまいと思っていたので、暫く顔を見合せたまま何とも言う事ができなかった。殊に唖々子はこの夜この事を敢てするに至るまでの良心の苦痛と、途中人目を憚りつつ背負っ・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・と落ちつき払って切り出した。其様子から物言いまで曾てカッフェーにいた時分、壁や窓に倚りかかって、其の辺に置いてある植木の葉をむしり取って、噛んでは吐きだしながら冗談を言っていた時とは、まるで別の人になっている。僕はさてこそと、変化の正体を見・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・仏蘭西の地層から切出した石材のヴェルサイユは火事と暴風と白蟻との災禍を恐るる必要なく、時間の無限中に今ある如く不朽に残されるであろう。けれども我が木造の霊廟は已にこの間も隣接する増上寺の焔に脅かされた。凡ての物を滅して行く恐しい「時間」の力・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・彼はそれを遠い市場に切り出した。昼間は壻の文造に番をさせて自分は天秤を担いで出た。後には馬を曳いて出た。文造はもう四十になった。太十は決して悪人ではないけれどいつも文造を頭ごなしにして居る。昼間のような月が照ってやがて旧暦の盆が来た。太十は・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・遂々私は切り出した。「あの女は俺達の友達だ」「じゃあ何だって、友達を素っ裸にして、病人に薬もやらないで、おまけに未だ其上見ず知らずの男にあの女を玩具にさすんだ」「俺達はそうしたい訳じゃないんだ、だがそうしなけれゃあの女は薬も飲め・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・彼女は、真正面に目を据え、上気せ上った早口で、昨夜良人と相談して置いた転地の話を前提もなしに切り出した。 彼女のむきな調子には何か涙が滲む程切迫つまったところがあった。余程急に出立でもしなければならないのか、又はその転地が夫婦にとって余・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・と、ゆっくりした調子で切り出したのは、貧農で、家族がうんとあって、コンムーナへ入ってからやっと凌げるようになったスチェカチョフだ。「集団農場へ気をひくためにゃ、これんばっかりも役にゃ立たねえネ」 自分の横っ腹のところを指さして、・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・彼女の癖がのみこめないうち、よくこの陰気っぽい話の切り出しかたで、皆が滅入った。父や母は特に感情上複雑な理由でも潜んでいるのではないかと案じたらしい。しかし、祖母は、そういう朗らかでない生れつきであったのだ。損な人であった。多くの場合逆に感・・・ 宮本百合子 「祖母のために」
・・・ 自分が進んで話を切り出し、自分が自分を明かにする事よりも、人の云い出す話を静かに聞き、他人を細々と観るのがすきな人だとじきに知った千世子は始終自分のわきに眼が働いて居る様な気がして肇と相対して居るときには例え其の手際は良くなくってもあ・・・ 宮本百合子 「千世子(二)」
・・・ 彼女等だってまんざらの子供ではなし…… そう思っているところへ、娘達の方からどうぞ遣って下さいと切り出したことは、お石にとって何よりであった。早速三人は、禰宜様宮田の許しを乞うたのである。が、お石は彼が主人であるという名に対してと・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
出典:青空文庫