・・・口を利くのもはきはきしていれば、寝返りをするのも楽そうだった。「お肚はまだ痛むけれど、気分は大へん好くなったよ。」――母自身もそう云っていた。その上あんなに食気までついたようでは、今まで心配していたよりも、存外恢復は容易かも知れない。――洋・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・杜子春は早速その問に答えようとしましたが、ふと又思い出したのは、「決して口を利くな」という鉄冠子の戒めの言葉です。そこで唯頭を垂れたまま、唖のように黙っていました。すると閻魔大王は、持っていた鉄の笏を挙げて、顔中の鬚を逆立てながら、「そ・・・ 芥川竜之介 「杜子春」
・・・男がみだりに笑ったり、口を利くものではないということが、父の教えた処世道徳の一つだった。もっとも父は私の弟以下にはあまり烈しい、スパルタ風の教育はしなかった。 父も若い時はその社交界の習慣に従ってずいぶん大酒家であった。しかしいつごろか・・・ 有島武郎 「私の父と母」
・・・「おとなしくふっくりしてる癖に、時々ああいう口を利くんですからね。――吃驚させられる事があるんです。――いつかも修善寺の温泉宿で、あすこに廊下の橋がかりに川水を引入れた流の瀬があるでしょう。巌組にこしらえた、小さな滝が落ちるのを、池の鯉・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ 宵から、銀座裏の、腰掛ではあるが、生灘をはかる、料理が安くて、庖丁の利く、小皿盛の店で、十二三人、気の置けない会合があって、狭い卓子を囲んだから、端から端へ杯が歌留多のようにはずむにつけ、店の亭主が向顱巻で気競うから菊正宗の酔が一層烈・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・――これが寒中だと、とうの昔凍え死んで、こんな口を利くものは、貴方がたの前に消えてしまっていたんでしょうね。 男はまだしも、婦もそれです。ご新姐――いま時、妙な呼び方で。……主人が医師の出来損いですから、出来損いでも奥さん。……さしあた・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・主人の姉――名はお貞――というのが、昔からのえら物で、そこの女将たる実権を握っていて、地方有志の宴会にでも出ると、井筒屋の女将お貞婆さんと言えば、なかなか幅が利く代り、家にいては、主人夫婦を呼び棄てにして、少しでもその意地の悪い心に落ちない・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・かの国のある学者が、クラークが植物学について口を利くなどとは不思議だ、といって笑っておりました。しかしながら、とにかく先生は非常な力を持っておった人でした。どういう力であったかというに、すなわち植物学を青年の頭のなかへ注ぎ込んで、植物学とい・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・「金さんだなんて、お前なぞがそんな生意気な口を利くものじゃない!」「へい」 お光は新造に向って、「どうしましょう、ここへ通しましょうか?」「ここじゃあんまり取り散らかしてあるから、下の座敷がいいじゃねえか」「じゃ、とにか・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ 大勢の見物もみんな顔色を失って、誰一人口を利く者がないのです。 爺さんは泣きながら、手や足や胴中を集めて、それを箱の中へ収いました。そして、最後に、子供の頭をその中へ入れました。それから、見物の方を向くと、こう言いました。「こ・・・ 小山内薫 「梨の実」
出典:青空文庫