・・・けば文明富強は日を期していたすべし、との胸算にてありしが、さて今日にいたりて実際の模様を見るに、教育はなかなかよく行きとどきて字を知る者も多く、一芸一能に達したる専門の学者も少なからずして、まずもって前年の所望はやや達したる姿なれども、これ・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・すなわち余が如きは前年士族流の学問したる者なれども、今の後進生は決してかかる無謀の挙動を再演すべからず。封建の制度、すでに廃して、士族無経済の気風、なお学生の中に存するは、今日天下の通弊なり。これすなわち余が本塾の学生諸氏に向い、余が経歴に・・・ 福沢諭吉 「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」
・・・しかしだんだん気候が寒くなって後にくうと、すぐに腹を傷めるので、前年も胃痙をやって懲り懲りした事がある。梨も同し事で冬の梨は旨いけれど、ひやりと腹に染み込むのがいやだ。しかしながら自分には殆ど嫌いじゃという菓物はない。バナナも旨い。パインア・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・二・二六事件があったのが前年の三六年のことである。 一九三八年一月から中野重治と私と他に数人の評論家が、思想傾向の上から内務省として執筆させることを望まない、という表現で、事実上の執筆禁止をうけた。その前後から雑誌や単行本に対する取締り・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第五巻)」
・・・が組織され、一九三六年には小松清によって、その前年の夏、パリに開かれた文化擁護のための「国際作家大会」と、その成果である同じ名の連盟の誕生が紹介された。これは一九三四年八月、モスクワで第一回文化擁護国際作家大会がもたれたとき、フランス代表と・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・ この前年、二十三歳のカールはイエナ大学に出した学位請求論文によって哲学博士となった。亡くなった父も、母も、カール自身も、大学教授としての生活を考えていたのであった。ところが、ドイツの社会情勢がカールをその平安な計画から追いたてた。一八・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・ 按ずるに乙卯は竜池の歿する前年で、香以は三十四歳になっていた。わたくしの芥川氏に聞いた事はほぼ此に尽きている。 わたくしに香以の事を語った人は、独り芥川氏のみではない。一知人はこう云う事を言った。「明治の初年に今戸橋の傍に湊屋とい・・・ 森鴎外 「細木香以」
・・・須磨子は三年前に飫肥へ往ったので、仲平の隠家へは天野家から来た謙助の妻淑子と、前年八月に淑子の生んだ千菊とがついて来た。産後体の悪かった淑子は、隠家に来てから六箇月目に、十九で亡くなった。下総にいた夫には逢わずに死んだのである。 仲平は・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・同時にまた彼は熱心なキリシタン排撃者であって、仕官の前年に『排耶蘇』を書いている。松永貞徳とともに、『妙貞問答』の著者不干ハビアンを訪ねた時の記事である。その時、まず第一に問題となったのは、「大地は円いかどうか」ということであった。羅山はハ・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・だからこの話が前年の十一月ごろに始まったと考えても差し支えはあるまい。いずれにしても先生は、この当時大学での講義を予期していられたのである。京都へ移る前、七月に、学士会で送別会が催された。来会者は井上、元良、中島、狩野、姉崎、常盤、中島、戸・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
出典:青空文庫