・・・そしてK君の死体が浜辺に打ちあげられてあった、その前日は、まちがいもなく満月ではありませんか。私はただ今本暦を開いてそれを確かめたのです。 私がK君と一緒にいました一と月ほどの間、そのほかにこれと言って自殺される原因になるようなものを、・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・それがどうしたのか、出発の前日に変更されてしまった。彼の中隊が、橇でなく徒歩でやって来ていたならば、彼も、今頃、どこで自分の骨を見も知らぬ犬にしゃぶられているか分らないのだ。 徒歩で深い雪の中へ行けば、それは、死に行くようなものだ。・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・姫路へは、その前日に着いた。しょぼ/\雨が降っていた。宿の傘を一本借りて、雨の中をびしょ/\歩きまわった。丁度、雪が積っているように白い、白鷺城を見上げながら、聯隊の前の道を歩いた。私の這入る聯隊は、城のすぐ下にあるのだ。 宿は、入営す・・・ 黒島伝治 「入営前後」
・・・とと俊雄ようやく夢覚めて父へ詫び入り元のわが家へ立ち帰れば喜びこそすれ気振りにもうらまぬ母の慈愛厚く門際に寝ていたまぐれ犬までが尾をふるに俊雄はひたすら疇昔を悔いて出入りに世話をやかせぬ神妙さは遊ばぬ前日に三倍し雨晨月夕さすが思い出すことの・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・ 二 災害の来た一日はちょうど二百十日の前日で、東京では早朝からはげしい風雨を見ましたが、十時ごろになると空も青々とはれて、平和な初秋びよりになったとおもうと、午どきになって、とつぜんぐら/\/\とゆれ出したので・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・その前日、新宿の百貨店へ行って結納のおきまりの品々一式を買い求め、帰りに本屋へ立寄って礼法全書を覗いて、結納の礼式、口上などを調べて、さて、当日は袴をはき、紋附羽織と白足袋は風呂敷に包んで持って家を出た。小坂家の玄関に於いて颯っと羽織を着換・・・ 太宰治 「佳日」
・・・ 弟さんは遺稿集に就いての相談もあり、また、兄さんの事を一夜、私たちと共に語り合いたい気持もあって、その前日、花巻から上京して来たのだという。 私の家で三人、遺稿集の事に就いて相談した。「詩を全部、載せますか。」と私は山岸さんに・・・ 太宰治 「散華」
・・・けれども僕には、吉祥寺に一軒、親しくしているスタンドバアがあって、すこしは無理もきくので、実はその前日そこのおばさんに、「僕の親友がこんど戦地へ行く事になったらしく、あしたの朝早く上野へ着いて、それから何時間の余裕があるかわからないけれども・・・ 太宰治 「未帰還の友に」
・・・ 翌日まだ書いている。前日より一層劇しい怒を以て、書いている。いやな事と云うものは、する時間が長引くだけいやになるからである。午頃になって、一寸町へ出た。何か少し食って、黒ビイルを一杯引っ掛けて帰って、また書いている。 ようよう銀行・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・しかしやはり前日家人と沓掛行きの準備について話をしたとき、今度行ったらグリーンホテルで泊まってそこでたまっている仕事を片付けようと思う、というようなことも言った覚えがある。しかし、グリーンホテルを緑屋などと訳してみた覚えは全然ないのであるが・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
出典:青空文庫