・・・しかしまた現代の日本橋は、とうてい鏡花の小説のように、動きっこはないとも思っていた。 客は註文を通した後、横柄に煙草をふかし始めた。その姿は見れば見るほど、敵役の寸法に嵌っていた。脂ぎった赭ら顔は勿論、大島の羽織、認めになる指環、――こ・・・ 芥川竜之介 「魚河岸」
・・・ おそらく彼のその心の動きが父に鋭く響いたのだろう、父は今までの怒りに似げなく、自分にも思いがけないようなため息を吐いた。彼は思わず父を見上げた。父は畳一畳ほどの前をじっと見守って遠いことでも考えているようだった。「俺しがこうして齷・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ しかしそんな優しい霊の動きは、壊された、あらゆる夢、殺された、あらゆる望の墓の上に咲く花である。 それだから、好い子、お前は釣をしておいで。 お前は無意識に美しい権利を自覚しているのであるから。 魚を殺せ。そして釣れ。・・・ 著:アルテンベルクペーター 訳:森鴎外 「釣」
・・・ このとき夫人の眉は動き、口は曲みて、瞬間苦痛に堪えざるごとくなりし。半ば目をきて、「そんなに強いるなら仕方がない。私はね、心に一つ秘密がある。痲酔剤は譫言を謂うと申すから、それがこわくってなりません。どうぞもう、眠らずにお療治がで・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・「なにしあわせなことがあるもんですか、五人も六人も子どもがあってみなさい、どうにもこうにも動きのとれるもんじゃないです。私はあなたは子がなくてしあわせだと思ってます」 予は打ち消そうとこういってみたけれど、お光さんの境遇に同情せぬこ・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・ こういうことにならないうち、早く切りあげようかとも思ったのだが、来べき金が来ないので、ひとつは動きがつかなくなったのだ。しかし、もう、こうなった以上は、僕も手を引くのをいさぎよしとしない。僕は意外に心が据った。「もう少し書いたら行・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・また、いつもさらさらといって流れている小川の水も、止まって動きませんでした。みんな寒さのために凍ってしまったのです。そして、田の面には、氷が張っていました。「地球の上は、しんとしていて、寒そうに見えるな。」と、このとき、星の一つがいいま・・・ 小川未明 「ある夜の星たちの話」
・・・の前で立ち停っている浜子の動きだすのを待っていると、浜子はやがてまた歩きだしたので、いそいそとその傍について堺筋の電車道を越えたとたん、もう道頓堀の明るさはあっという間に私の躯をさらって、私はぼうっとなってしまった。 弁天座、朝日座、角・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・しかしその人達はそれらしく動きまわる気配もなく依然として寝台のぐるりに凝立していた。 しばらく見ていた後、彼はまた眼を転じてほかの窓を眺めはじめた。洗濯屋の二階には今晩はミシンを踏んでいる男の姿が見えなかった。やはりたくさんの洗濯物が仄・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・客はそのまま目を転じて、下の谷間を打ち見やりしが、耳はなお曲に惹かるるごとく、髭を撚りて身動きもせず。玉は乱れ落ちてにわかに繁き琴の手は、再び流れて清く滑らかなる声は次いで起れり。客はまたもそなたを見上げぬ。 廊下を通う婢を呼び止めて、・・・ 川上眉山 「書記官」
出典:青空文庫