・・・「じゃア、そうしておいて!」「お父さんはあるの?」「あります」「何をしている?」「下駄屋」「おッ母さんは?」「芸者の桂庵」「兄さんは?」「勧工場の店番」「姉さんは?」「ないの」「妹は?」「・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・礼ちゃんが新橋の勧工場で大きな人形を強請って困らしたの、電車の中に泥酔者が居て衆人を苦しめたの、真蔵に向て細君が、所天は寒むがり坊だから大徳で上等飛切の舶来のシャツを買って来たの、下町へ出るとどうしても思ったよりか余計にお金を使うだの、それ・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・筒の底には紙が張ってあって、長い青糸が真ん中を繋いでいる。勧工場で買ったのだそうである。章坊は片方の筒を自分に持たせて、しばらく何かしら言って、「ね、解ったでしょう?」という。「ああ、解ったよ」といい加減に間を合わしておくと、「・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・ 新橋詰めの勧工場がそのころもあったらしい。これは言わば細胞組織の百貨店であって、後年のデパートメントストアの予想であり胚芽のようなものであったが、結局はやはり小売り商の集団的蜂窩あるいは珊瑚礁のようなものであったから、今日のような対小・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・ 五 百貨店の先祖 百貨店の前身は勧工場である。新橋や上野や芝の勧工場より以前には竜の口の勧工場というのがあって一度ぐらい両親につれられて行ったような茫とした記憶があるが、夢であったかもしれない。それはとにかく、その・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・其処へ美術学校の方から車が二台幌をかけたのが出て来たがこれもそこへ止って何か云うている様子であったがやがてまた勧工場の方へ引いて行った。自分も陳列所前の砂道を横切って向いの杉林に這入るとパノラマ館の前でやっている楽隊が面白そうに聞えたからつ・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
・・・青山原宿あたりの見掛けばかり門構えの立派な貸家の二階で、勧工場式の椅子テーブルの小道具よろしく、女子大学出身の細君が鼠色になったパクパクな足袋をはいて、夫の不品行を責め罵るなぞはちょっと輸入的ノラらしくて面白いかも知れぬが、しかし見た処の外・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・習慣がこうであるのにさすが倫敦は世界の勧工場だからあまり珍らしそうに外国人を玩弄しない。それからたいていの人間は非常に忙がしい。頭の中が金の事で充満しているから日本人などを冷かしている暇がないというような訳で、我々黄色人――黄色人とは甘くつ・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
出典:青空文庫