・・・下りは登りよりかずっと勾配が緩やかで、山の尾や谷間の枯れ草の間を蛇のようにうねっている路をたどって急ぐと、村に近づくにつれて枯れ草を着けた馬をいくつか逐いこした。あたりを見るとかしこここの山の尾の小路をのどかな鈴の音夕陽を帯びて人馬いくつと・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・背後は一帯の山つづきで、ちょうどその峰通りは西山梨との郡堺になっているほどであるから、もちろん樵夫や猟師でさえ踏み越さぬ位の仕方の無い勾配の急な地で、さて前はというと、北から南へと流れている笛吹川の低地を越してのその対岸もまた山々の連続であ・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・植木坂は勾配の急な、狭い坂だ。その坂の降り口に見える古い病院の窓、そこにある煉瓦塀、そこにある蔦の蔓、すべて身にしみるように思われてきた。 下女のお徳は家のほうに私たちを待っていた。私たちが坂の下の石段を降りるのを足音できき知るほど、も・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・高瀬は谷を廻って、いくらか勾配のある耕地のところで先生と一緒に成った。「ここへは燕麦を作って見ました。私共の畠は学校の小使が作ってます」 先生はその石の多い耕地を指して見せた。 塾の庭へ出ると、桜の若樹が低い土手の上にも教室の周・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・私たちは、家の前の石段から坂の下の通りへ出、崖のように勾配の急な路についてその細い坂を上った。砂利が敷いてあってよけいに歩きにくい。私は坂の途中であとから登って来る娘のほうを振り返って見て、また路を踏んで行った。こうして親子三人のものが一緒・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・いつも水に漬かっている一帯の土地がゆるい勾配をなして露われている。長々と続いている畠の畝に数週前から雪が積もっている。寒さは余りひどくなかったが、単調な、広漠たる、あらゆるものの音を呑み込んでしまうような沈黙をなしている雪が、そこら一面に空・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・急な勾配は這ってのぼった。死ぬことにも努力が要る。ふたり坐れるほどの草原を、やっと捜し当てた。そこには、すこし日が当って、泉もあった。「ここにしよう。」疲れていた。 かず枝はハンケチを敷いて坐って嘉七に笑われた。かず枝は、ほとんど無・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・ゆるい勾配の、小高い岡になっていて、風は、いまだにおさまらず、さっさつと雑木の枝を鳴らして、少なからず寒く思った。夜の更けるとともに、私の怪しまれる可能性もいよいよ多くなって来たわけである。人がこわくてこわくて、私は林のさらに奥深くへすすん・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・裸の大きい岩が急な勾配を作っていくつもいくつも積みかさなり、ところどころに洞窟のくろい口のあいているのがおぼろに見えた。これは山であろうか。一本の青草もない。 私は岩山の岸に沿うてよろよろと歩いた。あやしい呼び声がときどき聞える。さほど・・・ 太宰治 「猿ヶ島」
・・・その脇に沿うてほぼ同じ勾配の道路をつけるから、自然に途中で道と河との高度差の最大な処が出来るのであろうかと思われた。 水力発電所が何カ所かある。その中には日本一の落差で有名だというのがある。大正池からそこまで二里に近い道程を山腹に沿うて・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
出典:青空文庫