・・・伐って何にするかと思えば、千本の卒塔婆を拵えた上、一々それに歌を書いては、海の中へ抛りこむのじゃ。おれはまだ康頼くらい、現金な男は見た事がない。」「それでも莫迦にはなりません。都の噂ではその卒塔婆が、熊野にも一本、厳島にも一本、流れ寄っ・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・ ――誓ただひとりこの御堂に――「独り居れば、ひとり居るほど、血が動き、肉が震えて、つきます息も、千本の針で身体中さすようです。――前刻も前刻、絵馬の中に、白い女の裸身を仰向けにくくりつけ、膨れた腹を裂いています、安達ヶ原の孤家の、・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・――「当修善寺から、口野浜、多比の浦、江の浦、獅子浜、馬込崎と、駿河湾を千本の松原へ向って、富士御遊覧で、それが自動車と来た日には、どんな、大金持ちだって、……何、あなた、それまでの贅沢でございますよ。」と番頭の膝を敲いたのには、少分の茶代・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・と店から声をかけられて、お光は始めて気がつくと、若衆の為さんが用足しから帰ったので、中仕切の千本格子の間からこちらを覗いている。「三吉は今二階だが、何か用かね?」「なに、そんならいいんですが、またどっかへ遊びにでも出たかと思いまして・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・インケツの松と名乗って京極や千本の盛り場を荒しているうちに、だんだんに顔が売れ、随分男も泣かしたが、女も泣かした。面白い目もして来たが、背中のこれさえなければ堅気の暮しも出来たろうにと思えば、やはり寂しく、だから競馬へ行っても自分の一生を支・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・どうどうと燃えあがる千本万本の冬木立ば縫い、人を乗せたまっくろい馬こあ、風みたいに馳せていたずおん。 たった一言知らせて呉れ! “Nevermore” 空の蒼く晴れた日ならば、ねこはどこからかやって来て、庭の山茶花のしたで居・・・ 太宰治 「葉」
・・・白砂に這い、ひろがれる千本松原、または紅葉に見えかくれする清姫滝、そのような絵はがきよりも浅草仲店の絵はがきを好むのだ。人ごみ。喧噪。他生の縁あってここに集い、折も折、写真にうつされ、背負って生れた宿命にあやつられながら、しかも、おのれの運・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・館を繞りて緩く逝く江に千本の柳が明かに影をひたして、空に崩るる雲の峰さえ水の底に流れ込む。動くとも見えぬ白帆に、人あらば節面白き舟歌も興がろう。河を隔てて木の間隠れに白くひく筋の、一縷の糸となって烟に入るは、立ち上る朝日影に蹄の塵を揚げて、・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・ 第三金時丸は、こうして時々、千本桜の軍内のように、「行きつ戻りつ」するのであった。コムパスが傷んでいたんだ。 又、彼女が、ドックに入ることがある。セイラーは、カンカン・ハマーで、彼女の垢にまみれた胴の掃除をする。 あんまり強く・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・今日はみんな出て行って立派な木を十本だけ、十本じゃすくない、ええと、百本、百本でもすくないな、千本だけ集めて来い。もし千本集まらなかったらすぐ警察へ訴えるぞ。貴様らはみんな死刑になるぞ。その太い首をスポンと切られるぞ。首が太いからスポンとは・・・ 宮沢賢治 「カイロ団長」
出典:青空文庫