・・・そうして王氏は喜びのあまり、張氏の孫を上座に招じて、家姫を出したり、音楽を奏したり、盛な饗宴を催したあげく、千金を寿にしたとかいうことです。私はほとんど雀躍しました。滄桑五十載を閲した後でも、秋山図はやはり無事だったのです。のみならず私も面・・・ 芥川竜之介 「秋山図」
・・・「癩坊主が、ねだり言を肯うて、千金の釵を棄てられた。その心操に感じて、些細ながら、礼心に密と内証の事を申す。貴女、雨乞をなさるが可い。――天の時、地の利、人の和、まさしく時節じゃ。――ここの大池の中洲の島に、かりの法壇を設けて、雨を祈る・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・骨董を買う以上は贋物を買うまいなんぞというそんなケチな事でどうなるものか、古人も死馬の骨を千金で買うとさえいってあるではないか。仇十州の贋筆は凡そ二十階級ぐらいあるという談だが、して見れば二十度贋筆を買いさえすれば卒業して真筆が手に入るのだ・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・ 夏になると徳島からやって来た千金丹売りの呼び声もその一つである。渡り鳥のように四国の脊梁山脈を越えて南海の町々村々をおとずれて来る一隊の青年行商人は、みんな白がすりの着物の尻を端折った脚絆草鞋ばきのかいがいしい姿をしていた。明治初期を・・・ 寺田寅彦 「物売りの声」
・・・今度の事のごときこそ真忠臣が禍を転じて福となすべき千金の機会である。列国も見ている。日本にも無政府党が出て来た。恐ろしい企をした、西洋では皆打殺す、日本では寛仁大度の皇帝陛下がことごとく罪を宥して反省の機会を与えられた――といえば、いささか・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・ 薬を売り歩くものには、多年目に馴れた千金丹を売るもの、定斎の箱を担うものがある。千金丹を売るものが必手に革包を提げ蝙蝠傘をひらいて歩いたのは明治初年の遺風であろう。日露戦争の後から大正四五年の頃まで市中到処に軍人風の装をなし手風琴を引・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・蜀山人が作にも金竜山下起二金波一 〔金竜山下に金波を起こし砕二作千金一散二墨河一 千金を砕作して墨河に散る別有三幽荘引二剰水一 別に幽荘の剰水を引ける有りて蒹葭深処月明多 蒹葭深き処月明らかなること多れり〕・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・政治家と相結んで国家的公共の事業を企画し名を売り利を釣る道を知らず、株式相場の上り下りに千金を一攫する術にも晦い。僕は文士である。文士は芸術家の中に加えられるものであるが、然し僕はもう老込んでいるから、金持の後家をだます体力に乏しく、また工・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・「刹那に千金を惜しまず」と髯なき人が葉巻の飲み殻を庭先へ抛きつける。隣りの合奏はいつしかやんで、樋を伝う雨点の音のみが高く響く。蚊遣火はいつの間にやら消えた。「夜もだいぶ更けた」「ほととぎすも鳴かぬ」「寝ましょか」 夢の話し・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・世間の交際を重んずるの名を以て、附合の機に乗ずれば一擲千金もまた愛しまず。官用にもせよ商用にもせよ、すべて戸外公共の事に忙しくして家内を顧みるに遑あらず。外には活溌にして内には懶惰、台所の有様を知らず、玄関の事情を知らず、子供の何を喰らい何・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
出典:青空文庫