・・・あの女はこの半年ばかり、多少ヒステリックにもなっていたのでしょう。一時はほとんど毎日のように、今日限り三味線を持たないとかいっては、子供のように泣いていました。それがまたなぜだと訊ねて見ると、わたしはあの女を好いていない、遊芸を習わせるのも・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・ しかし少くとも常子だけは半年ばかりたった後、この誤解に安んずることの出来ぬある新事実に遭遇した。それは北京の柳や槐も黄ばんだ葉を落としはじめる十月のある薄暮である。常子は茶の間の長椅子にぼんやり追憶に沈んでいた。彼女の唇はもう今では永・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・画なんてちっとも売れない画かきばかりの、こんな穢い小屋に、私もう半年の余も通っていてよ。よほどありがたく思っていいわけだわ。それを人の気も知らないで……戸部 貴様はこいつの顔が見たいばかりで……とも子 焼餅やき。戸部 馬鹿。・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・静岡の何でも町端れが、その人の父が其処の屋敷に住んだところ、半年ばかりというものは不思議な出来事が続け様で、発端は五月頃、庭へ五六輪、菖蒲が咲ていたそうでその花を一朝奇麗にもぎって、戸棚の夜着の中に入れてあった。初めは何か子供の悪戯だろうく・・・ 泉鏡花 「一寸怪」
・・・が、町々辻々に、小児という小児が、皆おもちゃを持って、振ったり、廻したり、空を払いたりして飛廻った。半年ばかりですたれたが、一種の物妖と称えて可かろう。持たないと、生効のないほど欲しかった。が樹島にはそれがなかった。それを、夢のように与えら・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・それがため到底だめと思ってる隣の家にうかうか半年を過ごしたのである。その年もようやく暮れて、十二月半ばごろに突如として省作の縁談が起こった。隣村某家へ婿養子になることにほぼ定まったのである。省作はおはまの手引きによって、一日おとよさんと某所・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・とうわさをして居たら、半年もたたない中に此の娘は男を嫌い始めて度々里の家にかえるので馴染もうすくなり、そんな風ではととうとう三条半を書いてやる。 まもなく後に菊酒屋と云う有名な酒屋にやった所がここも秋口から物やかましいといやがられたので・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・オモイマスト、何ダカオカシクナリマス病気ヲオタズネ下サイマシタガ、コレハ重イトイエバ重イ、軽イトイエバ軽イ、ドチラニモナリマスノデ、カノ本復スルカト思エバ全快スノ方ノ組デス、当所へ参リマス前、凡ソ半年ホドヲ鵠沼ニ辛棒シテオリマシタガ、無・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・果然、沼南が外遊の途に上ってマダ半年と経たない中に余り面白くない噂がポツポツ聞えて来た。アアいう人目に着く粧いの婦人に対してはとかくにあらぬ評判をしたがるもんだから、我々は沼南夫人に顰蹙しながらも余りに耳を傾けなかった。が、沼南の帰朝が近く・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・ 年子は、先生の姿が見えないのを、もどかしがっていると、お母さんは、おちついた態度で、静かに、先生は、もうこの世の人でないこと、なくなられてから、はや、半年あまりにもなること、そして、その節は、お知らせせずにすまなかったとお話しなされた・・・ 小川未明 「青い星の国へ」
出典:青空文庫