ここは南蛮寺の堂内である。ふだんならばまだ硝子画の窓に日の光の当っている時分であろう。が、今日は梅雨曇りだけに、日の暮の暗さと変りはない。その中にただゴティック風の柱がぼんやり木の肌を光らせながら、高だかとレクトリウムを守っている。そ・・・ 芥川竜之介 「おしの」
ある春の夕、Padre Organtino はたった一人、長いアビト(法衣の裾を引きながら、南蛮寺の庭を歩いていた。 庭には松や檜の間に、薔薇だの、橄欖だの、月桂だの、西洋の植物が植えてあった。殊に咲き始めた薔薇の花は・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・「天竺南蛮の今昔を、掌にても指すように」指したので、「シメオン伊留満はもとより、上人御自身さえ舌を捲かれたそうでござる。」そこで、「そなたは何処のものじゃと御訊ねあったれば、一所不住のゆだやびと」と答えた。が、上人も始めは多少、この男の真偽・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・都でもこの後五百年か、あるいはまた一千年か、とにかくその好みの変る時には、この島の土人の女どころか、南蛮北狄の女のように、凄まじい顔がはやるかも知れぬ。」「まさかそんな事もありますまい。我国ぶりはいつの世にも、我国ぶりでいる筈ですから。・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・天主閣はその名の示すがごとく、天主教の渡来とともに、はるばる南蛮から輸入された西洋築城術の産物であるが、自分たちの祖先の驚くべき同化力は、ほとんど何人もこれに対してエキゾティックな興味を感じえないまでに、その屋根と壁とをことごとく日本化し去・・・ 芥川竜之介 「松江印象記」
・・・巴は当初南蛮寺に住した天主教徒であったが、その後何かの事情から、DS 如来を捨てて仏門に帰依する事になった。書中に云っている所から推すと、彼は老儒の学にも造詣のある、一かどの才子だったらしい。 破提宇子の流布本は、華頂山文庫の蔵本を、明・・・ 芥川竜之介 「るしへる」
・・・ 軽焼は本と南蛮渡りらしい。通称丸山軽焼と呼んでるのは初めは長崎の丸山の名物であったのが後に京都の丸山に転じたので、軽焼もまた他の文明と同じく長崎から次第に東漸したらしい。尤も長崎から上方に来たのはかなり古い時代で、西鶴の作にも軽焼の名・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・想えばげすの口の端に、掛って知った醜さは、南蛮渡来の豚ですら、見れば反吐をば吐き散らし、千曲川岸の河太郎も、頭の皿に手を置いて、これはこれはと呆れもし、鳥居峠の天狗さえ、鼻うごめいて笑うという、この面妖な旗印、六尺豊かの高さに掲げ、臆面もな・・・ 織田作之助 「猿飛佐助」
・・・東夷南蛮の類であり、毛唐人の仲間である。この「ヤナ」が「野蛮」に通じまた「野暮な」に通ずるところに妙味がないとは言われない。 またこの「毛唐」がギリシアの「海の化けもの」ktos に通じ、「けだもの」、「気疎い」にも縁がなくはない。・・・ 寺田寅彦 「言葉の不思議」
・・・実に無意味なおもちゃであるがしかしハーモニカやピッコロにはない俳味といったようなものがあり、それでいて南蛮的な異国趣味の多分にあるものであった。 むきになって理屈を言ってる鼻の先へもって来てポペンポペンとやられると、あらゆる論理や哲学な・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
出典:青空文庫