・・・しこうして、その理想なるものが、忠とか孝とかいう、一種抽象した概念を直ちに実際として、即ち、この世にあり得るものとして、それを理想とさせた、即ち孔子を本家として、全然その通りにならなくともとにかくそれを目あてとして行くのであります。 な・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・何人であっても赤裸々たる自己の本体に立ち返り、一たび懸崖に手を撒して絶後に蘇った者でなければこれを知ることはできぬ、即ち深く愚禿の愚禿たる所以を味い得たもののみこれを知ることができるのである。上人の愚禿はかくの如き意味の愚禿ではなかろうか。・・・ 西田幾多郎 「愚禿親鸞」
・・・したがつてそれは最も暗示に富んだ文学で、言葉と言葉、行と行との間に、多くの思ひ入れ深き省略を隠して居る。即ち言へば、アフォリズムはそれ自ら「詩」の形式の一種なのである。 アフォリズムは詩である。故にこれを理解し得るものも、また詩人の直覚・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・温良恭謙、固より人間の美徳なれども、女子に限りて其教訓を忽にせずと言えば、女子に限りて其趣意を厚く教うるの意味ならん。即ち薬剤にて申せば女子に限りて多量に服せしむるの意味ならんなれども、扨この一段に至りて、女子の力は果して能く此多量の教訓に・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・すると、私がずっと子供の時分からもっていた思想の傾向――維新の志士肌ともいうべき傾向が、頭を擡げ出して来て、即ち、慷慨憂国というような輿論と、私のそんな思想とがぶつかり合って、其の結果、将来日本の深憂大患となるのはロシアに極ってる。こいつ今・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・けれども景色が余り広いと写実に遠ざかるから今少し狭く細かく写そうと思うて、月が木葉がくれにちらちらして居る所、即ち作者は森の影を踏んでちらちらする葉隠れの月を右に見ながら、いくら往ても往ても月は葉隠れになったままであって自分の顔をかっと照す・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・こっちの方はレンズが薄いのでわずかの光る粒即ち星しか見えないのでしょう。こっちやこっちの方はガラスが厚いので、光る粒即ち星がたくさん見えその遠いのはぼうっと白く見えるというこれがつまり今日の銀河の説なのです。そんならこのレンズの大きさがどれ・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・ ルポルタージュは観たこと、聴いたこと、感じたこと、即ち対象となる現実をひっくるめた人間生活諸相の報告であって、もとより平常では見られない珍らしいこと、スリルなこと、風土的エキゾチシズムが主要な部分ではない。 今日の所謂戦線ルポルタ・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・昨年彼新聞が六千号を刊するに至ったとき、主筆が我文を請われて、予は交誼上これに応ぜねばならぬことになったので、乃ち我をして九州の富人たらしめばという一篇を草して贈った。その時新聞社の一記者は我文に書後のようなものを添えて読者に紹介せられた。・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・さて、自分の云う感覚と云う概念、即ち新感覚派の感覚的表徴とは、一言で云うと自然の外相を剥奪し、物自体に躍り込む主観の直感的触発物を云う。これだけでは少し突飛な説明で、まだ何ら新しき感覚のその新しさには触れ得ない。そこで今一言の必要を認めるが・・・ 横光利一 「新感覚論」
出典:青空文庫