・・・第一に林はこんにゃく売りを軽蔑するどころか、却って尊敬しているので、もうどんな意地悪共が、手を叩いてはやしたって、私はヘイチャラである。「ハワイって、外国かい?」 一緒に歩きながら、私達はよくハワイの話をした。林のお父さんも、お母さ・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・其の陳腐にして興味なきことも亦よく予想せられるところであるが、これ却って未知の新しきものよりも老人の身には心易く心丈夫に思われ、覚えず知らず行を逐って読過せしめる所以ともなるのであろう。この間の消息は直にわたくしが身の上に移すことが出来る。・・・ 永井荷風 「百花園」
・・・只事実に相違ないと思い定めた戦いが、起らんとして起らぬ為め、であれかしと願う夢の思いは却って「事実になる」の念を抑ゆる事もあったのであろう。一年は三百六十五日、過ぐるは束の間である。七日とは一年の五十分一にも足らぬ。右の手を挙げて左の指を二・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・抽象的な連盟主義は、その裏面に帝国主義に却って結合して居るのである。 歴史的世界形成には、何処までも民族と云うものが中心とならなければならない。それは世界形成の原動力である。共栄圏と云うものであっても、その中心となる民族が、国際連盟・・・ 西田幾多郎 「世界新秩序の原理」
・・・来訪客と話すことも、昔のように苦しくなく、時に却って歓迎するほどでさえもある。ニイチェは読書を「休息」だと云ったが、今の僕にとって、交際はたしかに一つの「休息」である。人と話をして居る間だけは、何も考えずに、愉快で居られるからである。 ・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・目が尠いだろうから、だが、――私はその階段を昇りながら考えつづけた――起死回生の霊薬なる六神丸が、その製造の当初に於て、その存在の最大にして且つ、唯一の理由なる生命の回復、或は持続を、平然と裏切って、却って之を殺戮することによってのみ成り立・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・実習のほうが却っていいくらいだ。学校から纏めて注文するというので僕は苹果を二本と葡萄を一本頼んでおいた。四月九日〔以下空白〕一千九百廿五年五月五日 晴まだ朝の風は冷たいけれども学校へ上り口の公園の桜は咲いた。・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・ それが、却って、云うに云えない今日の新鮮さ、頼りふかい印象を与えているのは、どういうわけなのだろうか。 日本の民主化ということは、大したことであるという現実の例がこの一事にも十分あらわれていると思う。 こういう、云わば野暮な、・・・ 宮本百合子 「合図の旗」
・・・これを聞けば、ほとんど別人の名を聞くが如く、しかもその別人は同世の人のようではなくて、却って隔世の人のようである。明治の時代中ある短日月の間、文章と云えば、作に露伴紅葉四迷篁村緑雨美妙等があって、評に逍遥鴎外があるなどと云ったことがある。こ・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・ お留は安次に渡した一円の紙幣が庭に落ちているのを見ると、走って行って渡そうかと思ったが、しかしそれでは却って追い出すようでいけないし、「まア好えわア。」と彼女は呟いた。 それより此の次もう一円増してやる方が、息子の無情な仕打ち・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫