・・・――「旦那様の前ですけど、この二室が取って置きの上等」で、電報の客というのが、追ってそこへ通るのだそうである。――「まあお一杯。……お銚子が冷めますから、ここでお燗を。ぶしつけですけれど、途中が遠うございますから、おかわりの分も、」と銚・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・ 茶会の当日、私は、たった一足しかない取って置きの新しい紺足袋をはいて家を出た。服装まずしくとも足袋は必ず新しきを穿つべし、と茶の湯客の心得に書かれてある。省線の阿佐ヶ谷駅で降りて、南側の改札口を出た時、私は私の名を呼ばれた。二人の大学・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・少なくも画家の頭脳の中にしまってある取って置きの粉本をそのまま紙布の上に投影してその上を機械的に筆で塗って行ったものとしか思われなかった。ペンキ屋が看板の文字を書くようにそれはどこから筆を起してどういう方向に運んで行っても没交渉なもののよう・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・そして地面には蓙が敷いてありますがお客があると取って置きの蓙を出してすすめます。お客用のだからと云っても、矢張り黒く煤けていました。 それでも窓は東と南に開けてありまして、何処の家でも、東の窓は神聖な場所として、此処にイナオと云う内地の・・・ 宮本百合子 「親しく見聞したアイヌの生活」
・・・ 名乗られると、急にどよめき立った者達は、ふだんは使わない取って置きのいい言葉で御機嫌をとろうとするので、大の男までときどき途方もないとんちんかんを並べながら、ワクワクして助けてくれた人は何という者だと訊かれると、「ありゃおめえさ禰・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
出典:青空文庫