・・・また昔は階級制度が厳しいために過去の英雄豪傑は非常にえらい人のように見えて、自分より上の人は非常にえらくかつ古人が世の中に存在し得るという信仰があったため、また、一は所が隔たっていて目のあたり見なれぬために遠隔の地の人のことは非常に誇大して・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・ 死にし子顔よかりき、をんな子のためには親をさなくなりぬべしなど、古人もいったように、親の愛はまことに愚痴である、冷静に外より見たならば、たわいない愚痴と思われるであろう、しかし余は今度この人間の愚痴というものの中に、人情の味のあること・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・其他様々の陰陽説に就き、今日吾々が古人と為りて勝手自儘に新説を作れば、旧説を逆にして陰陽を転倒すること甚だ易し。如何となれば新旧共に根拠なければなり。斯る無根の空論を土台にして、女は陰性なり、陰は夜にして暗し、故に女子は愚なりと明言して憚ら・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ ゆえに、古人の便利とするところは、今日はなはだ不便なり。今日の便利は、今後また不便とならん。古人は今を知らずして、当時の事物を便利なりと思いしことにて、今人もまた今後を知らずして、今を安楽と思うのみ。また近くこれを譬うれば、かの煙草を・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
・・・さるを今の作者の無智文盲とて古人の出放題に誤られ、痔持の療治をするように矢鱈無性に勧懲々々というは何事ぞと、近頃二三の学者先生切歯をしてもどかしがられたるは御尤千万とおぼゆ。主人の美術定義を拡充して之を小説に及ぼせばとて同じ事なり。抑々小説・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
・・・彼が見しこと聞きしこと時に触れ物に触れて、残さず余さずこれを歌にしたるは、杜甫が自己の経歴を詳に詩に作りたると相似たり。古人が杜詩を詩史と称えし例に傚わば曙覧の歌を歌史ともいうべきか。余が歌集によりてその人の事蹟と性行とを知り得たるもその歌・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・土耳古人たちは、みんなまっ赤なターバンと帯とをかけ、殊に地学博士はあちこちからの勲章やメタルを、その漆黒の上着にかけましたので全くまばゆい位でした。私は三越でこさえた白い麻のフロックコートを着ましたが、これは勿論、私の好みで作法ではありませ・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ 蒙古人の村はどこでも犬が多いな。――…… 列車は修繕のために二時間以上雪の中にとまっていた。 ほとんど終日、アムール河の上流シグハ川に沿うて走る。雪、深し。灌木地帯で、常磐木は見えない。山がある。民家はシベリアとは違い薄い板屋・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・新聞紙のために古人の伝記を草するのも人の請うがままに碑文を作るのも、ここに属する。何故に現在の思量が伝記をしてジェネアロジックの方向を取らしめているかは、未だまったくみずから明かにせざるところで、上にいった自然科学の影響のごときは、少くも動・・・ 森鴎外 「なかじきり」
・・・われ有るに非ざれど、この痛みどこより来るか。古人の悩んだこんな悩ましさも、十数年来まだ梶から取り去られていなかった。そして、戦争が敗北に終わろうと、勝利になろうと、同様に続いて変らぬ排中律の生みつづけていく難問たることに変りはない。「あ・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫