・・・ブ、ヨハネ、アンデレ、トマス、痴の集り、ぞろぞろあの人について歩いて、脊筋が寒くなるような、甘ったるいお世辞を申し、天国だなんて馬鹿げたことを夢中で信じて熱狂し、その天国が近づいたなら、あいつらみんな右大臣、左大臣にでもなるつもりなのか、馬・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・私は三度も点呼を受けさせられ、そのたんびに竹槍突撃の猛訓練などがあり、暁天動員だの何だの、そのひまひまに小説を書いて発表すると、それが情報局に、にらまれているとかいうデマが飛んで、昭和十八年に「右大臣実朝」という三百枚の小説を発表したら、「・・・ 太宰治 「十五年間」
安心し給え、君の事を書くのではない。このごろ、と言っても去年の秋から「右大臣実朝」という三百枚くらいの見当の小説に取りかかって、ことしの二月の末に、やっと百五十一枚というところに漕ぎつけて、疲れて、二、三日、自身に休暇を与・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・「最後に小生は目下我邦における学問文芸の両界に通ずる趨勢に鑒みて、現今の博士制度の功少くして弊多き事を信ずる一人なる事を茲に言明致します。「右大臣に御伝えを願います。学位記は再応御手許まで御返付致します。敬具」 要するに文部大臣・・・ 夏目漱石 「博士問題の成行」
・・・小一條左大将済時卿は四月二十三日、六條左大臣、粟田右大臣、桃園中納言保光卿は、三人とも五月八日一度に死んだ。山井大納言は六月十一日に亡き人となった。斯那ことは又となかろう。大臣公卿が七八人、二三月のうちにかき払われて仕舞うことは稀有な出来事・・・ 宮本百合子 「余録(一九二四年より)」
・・・兼良は応永九年の生まれで、応永時代の代表者としては少しく遅いが、しかしそれでも応永の末には右大臣、永享四年には関白となっている。この時にはすぐにやめたが、十五年後四十五歳の時にふたたび関白太政大臣となり、さらに六十五歳の時三度関白となった。・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫