よしはらじろう【吉原治良】
[1905〜1972]洋画家。大阪の生まれ。藤田嗣治 (つぐはる) らに師事。具象画から抽象画へと進み、具体美術協会を主宰して前衛芸術運動を推進。
よしはらまさき【吉原正喜】
[1919〜1944]プロ野球選手。熊本の生まれ。昭和13年(1938)熊本工業の同窓であった川上哲治とともに巨人軍に入団。沢村栄治やスタルヒンらとバッテリーを組んで活躍した。同19年、第二次大戦で戦死。
よしはらしげとし【吉原重俊】
[1845〜1887]官僚・初代日本銀行総裁。薩摩の人。通称、弥次郎。寺田屋事件に連座して謹慎処分となるが、後に許されて薩摩藩からの留学生として渡米。岩倉使節団の書記官を務めるなど外交官として実績を残した後、大蔵省に移って活躍した。明治15年(1882)に日本銀行が創立されると、その初代総裁となった。
出典:gooニュース
「吉原遊女」と「バブル期のジュリアナ嬢」は似ている…身体を売る花魁が江戸の娘たちのアイドルになったワケ
鱗形屋は吉原遊郭のガイドブック『吉原細見』の板元でもあり、その編集にあたっては、吉原で生まれ育ち、だから吉原に精通し吉原人脈も豊富な蔦重は、大いに力を発揮できた。 ところが、第6回「鱗剥がれた『節用集』」(2月9日放送)では、そんな鱗形屋が摘発されてしまった。大坂の本屋が出版した『節用集』(用字集。国語辞典に近い)の偽板(海賊版)を摺り、売っていたのがバレたのだ。
「べらぼう」演出、吉原の光と闇を描くこだわり 蔦重がこれまでの大河主人公と違う点とは【深川貴志ディレクターインタビュー前編】
深川:蔦重の根本には「吉原」という存在があります。彼が青本を作りたいと思う理由や、吉原細見に関わる理由もすべて吉原が彼の原点にあるからなので、その点を意識して描いています。光の部分で言うと、蔦重が前向きに物事に取り組みどんどん仕掛けていくシーンがそれにあたるでしょうし、一方で影の部分は、彼が感じる苦しみや挫折など。
べらぼう蔦重の「吉原細見」手に取れる 月利用者30人の博物館に2日で200人超殺到
蔦重が作った吉原の案内本『吉原細見』や、浮世絵師の北尾重政らとタッグを組んで刊行した黄表紙なども計約80点あり、ほぼすべての所蔵品を手に取って閲覧できる。従来は研究者の利用が多く、昨年1月の1カ月間の閲覧者は約30人。ところが1月中旬、ドラマ本編後にゆかりの地として紹介されると、翌開館日には58人、直後の週末の2日間で200人超が押し寄せた。
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