よしださだふさ【吉田定房】
[1274〜1338]鎌倉後期・南北朝時代の公卿。後宇多天皇・後醍醐天皇の信任が厚く、また、幕府とも親しく、元弘の変では事前に通報し、その後も南朝・北朝の間を出入りした。北畠親房・藤原宣房とともに「後 (のち) の三房」と称された。日記「吉槐記」がある。
よしだしげる【吉田茂】
[1878〜1967]外交官・政治家。東京の生まれ。奉天総領事・駐英大使などを歴任。戦後、外相を経て自由党総裁となり、以後、五次にわたって内閣を組織。サンフランシスコ講和条約・日米安保条約を締結。→片山哲 →鳩山一郎
よしだしゅういち【吉田修一】
[1968〜 ]小説家。長崎の生まれ。法政大学卒業後、アルバイト生活を経て創作の道に入る。「パーク・ライフ」で芥川賞受賞。他に「最後の息子」「熱帯魚」「パレード」など。
よしだしょういん【吉田松陰】
[1830〜1859]幕末の思想家・尊王論者。長州藩士。名は矩方 (のりかた) 。通称、寅次郎。欧米遊学を志し、ペリーの船で密航を企てたが失敗して入獄。出獄後、萩に松下村塾を開き、高杉晋作・伊藤博文らの多くの維新功績者を育成。安政の大獄で刑死。
よしだじんじゃ【吉田神社】
京都市左京区にある神社。祭神は健御賀豆知命 (たけみかつちのみこと) ほか三神。貞観年間(859〜877)に奈良春日大社から勧請 (かんじょう) して創建。室町末期、神官吉田兼倶 (よしだかねとも) が吉田神道を大成し、根本斎場大元宮 (だいげんきゅう) を設けた。
よしだしんとう【吉田神道】
室町末期、吉田兼倶 (よしだかねとも) が大成した神道の一派。儒・仏・道三教を枝・葉・花実とし、日本古来の随神 (かんながら) の道を法の根本であると唱える。近世に広く浸透した。元本宗源神道。唯一神道。卜部神道。
よしだせいいち【吉田精一】
[1908〜1984]国文学者。東京の生まれ。東京教育大・東大教授。日本近代文学研究に新しい実証主義的方法を樹立。著「自然主義の研究」「近代日本浪漫主義研究」「明治大正文学史」など。
よしだただし【吉田正】
[1921〜1998]作曲家。茨城の生まれ。フランク永井、橋幸夫、松尾和子ら多くの歌手を育て、「有楽町で逢いましょう」「いつでも夢を」「誰よりも君を愛す」など、数々のヒット曲を手がけた。没後、国民栄誉賞受賞。
よしだたつお【吉田竜夫】
[1932〜1977]漫画家・アニメーション作家。京都の生まれ。本名、龍夫 (たつお) 。少年向けの漫画を手がけたのち、アニメーション作品の制作に携わり、アニメ製作会社の先駆けともなる「竜の子プロダクション」を設立した。原作を手がけたアニメ作品に「宇宙エース」「みなしごハッチ」などがある。
よしだつかさけ【吉田司家】
相撲行司の家元。江戸時代、15世追風 (おいかぜ) が細川家に仕えて相撲司家となって以来、熊本にあって全国の力士・行司を支配し、横綱の免許を与えた。昭和26年(1951)以降、その権限は日本相撲協会に譲られた。