・・・おりおりその身に対する同情の言葉が交される。彼は既に死を明らかに自覚していた。けれどそれが別段苦しくも悲しくも感じない。二人の問題にしているのはかれ自身のことではなくて、ほかに物体があるように思われる。ただ、この苦痛、堪え難いこの苦痛から脱・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・彼に対する同情者は遠方から電報をよこしたりした。その中にはマクス・ラインハルトの名も交じっていた。 その後ナウハイムで科学者大会のあった時、特にその中の一日を相対論の論評にあてがった。その時の会場は何となく緊張していたが当人のアインシュ・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・理性にも同情にも訴うるのでなく、唯過敏なる感覚をのみ基礎として近世の極端なる芸術を鑑賞し得ない人は、彼からいえば到底縁なき衆生であるのだ。女の嫌いな人に強て女の美を説き教える必要はない。酒に害あるはいわずと知れた話である。然もその害毒を恐れ・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・しかし倫理的に申したならば、人が落ちたというに笑うはずがない、気の毒だという同情があって然るべきである、殊に私のような招かれて来た者に対する礼儀としても笑うのは倫理的でない事は明である。けれども笑うという事と、気の毒だと思う事と、どちらか捨・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・我らの相対して相言う能わざりし所に、言語はおろか、涙にも現わすことのできない深き同情の流が心の底から底へと通うていたのである。 余も我子を亡くした時に深き悲哀の念に堪えなかった、特にこの悲が年と共に消えゆくかと思えば、いかにもあさましく・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・『僕も主義を改めて、あの百姓のお神さんに同情するさ。』 彼可厭と思った学生の声でしたから、私達は急いで停車場を出て、待たせて置いた宅の俥に乗って帰ったのでした。 私は彼女の方は、日本の人か知ら、他国の人じゃないかと思いました。で・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・栄誉利害を異にすれば、また従て同情相憐むの念も互に厚薄なきを得ず。譬えば、上等の士族が偶然会話の語次にも、以下の者共には言われぬことなれどもこの事は云々、ということあり。下等士族もまた給人分の輩は知らぬことなれども彼の一条は云々、とて、互に・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
○昔から名高い恋はいくらもあるがわれは就中八百屋お七の恋に同情を表するのだ。お七の心の中を察すると実にいじらしくていじらしくてたまらん処がある。やさしい可愛らしい彼女の胸の中には天地をもとろかすような情火が常に炎々として燃えて居る。その・・・ 正岡子規 「恋」
・・・それは大いに同情するね。」「今日は石を運ばせてやろうか。おい。みんな今日は石を一人で九十匁ずつ運んで来い。いや、九十匁じゃあまり少いかな。」「うん。九百貫という方が口調がいいね。」「そうだ、そうだ。どれだけいいか知れないね。おい・・・ 宮沢賢治 「カイロ団長」
・・・ことがなければプロレタリア文学は真の芸術であり得ないという片上伸の主張とそのためのたたかいを著者は、同情と批判をもって跡づけている。 この初期の二つの評論にはっきりあらわれているように階級の歴史的経験を、自身の実感としないではいられなか・・・ 宮本百合子 「巖の花」
出典:青空文庫