・・・ してみれば、お貞、お前が呪詛殺すんだと、吾がそう思っても、仕方があるまい。 吾はどのみち助からないと、初手ッから断念めてるが、お貞、お前の望が叶うて、後で天下晴に楽まれるのは、吾はどうしても断念められない。 謂うと何だか、女々・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・ 急を聞いて馳せつけた四条金吾が日蓮の馬にとりついて泣くのを見て、彼はこれを励まして、「この数年が間願いし事是なり。此の娑婆世界にして雉となりし時は鷹につかまれ、鼠となりし時は猫にくらわれ、或いは妻子に、敵に身を捨て、所領に命を失いし事・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・はばゆゆしみ山川のたぎつ心を塞かへたりけり思ふこと心やりかね出で来れば山をも川をも知らで来にけり冬ごもり春の大野を焼く人は焼きたらぬかもわが心焼くかくのみにありけるものを猪名川の奥を深めて吾が念へりける 死ぬほどの恋も容・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・その別に取立てて云うほどの何があるでも無い眼を見て、初めて夫がホントに帰って来たような気がし、そしてまた自分がこの人の家内であり、半身であると無意識的に感じると同時に、吾が身が夫の身のまわりに附いてまわって夫を扱い、衣類を着換えさせてやった・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・自分は人々に傚って、堤腹に脚を出しながら、帰路には捨てるつもりで持って来た安い猪口に吾が酒を注いで呑んだ。 見ると東坡巾先生は瓢も玉盃も腰にして了って、懐中の紙入から弾機の無い西洋ナイフのような総真鍮製の物を取出して、刃を引出して真直に・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・例を申しましょうなら、端役の人物の事ゆえ『八犬伝』を御覧の方でも御忘れでしょうが、小文吾が牛の闘を見に行きました時の伴をしました磯九郎という男だの、角太郎が妻の雛衣の投身せんとしたのを助けたる氷六だの、棄児をした現八の父の糠助だの、浜路の縁・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・主人は訳はわからぬが、其一閃の光に射られて、おのずと吾が眼を閉じて了った。「この女めも、弁口、取りなし、下の者には十二分の出来者。しかも生命を捨ててもと云居った、うその無い、あの料簡分別、アア、立派な、好い侍、かわゆい、忠義の者ではある・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・であったという伝説に便乗して、以て吾が身の侘びしさをごまかしている様子のようにも思われる。「孤高」と自らを号しているものには注意をしなければならぬ。第一、それは、キザである。ほとんど例外なく、「見破られかけたタルチュフ」である。どだ・・・ 太宰治 「徒党について」
・・・ざしを持ち、にかいへあがる、ころものそで、はしごにかかり、つぎに、ざいたふみ落す、ここわなにかと問へば、たばこをだす、あな、と言ふ、したには、くわじなかば、琴のいとをしめて、かへるといへば、たけだの仁吾が、だいかぐらを、つれてくる、見ておか・・・ 太宰治 「盲人独笑」
・・・と独り言のように言いながら、ふと思い出した体にて、吾が膝頭を丁々と平手をたてに切って敲く。「脚気かな、脚気かな」 残る二人は夢の詩か、詩の夢か、ちょと解しがたき話しの緒をたぐる。「女の夢は男の夢よりも美くしかろ」と男が云えば「せめて・・・ 夏目漱石 「一夜」
出典:青空文庫