・・・ この大川の水に撫愛される沿岸の町々は、皆自分にとって、忘れがたい、なつかしい町である。吾妻橋から川下ならば、駒形、並木、蔵前、代地、柳橋、あるいは多田の薬師前、うめ堀、横網の川岸――どこでもよい。これらの町々を通る人の耳には、日を・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・ 鼠の鍔をぐったりとしながら、我慢に、吾妻橋の方も、本願寺の方も見返らないで、ここを的に来たように、素直に広小路を切って、仁王門を真正面。 濡れても判明と白い、処々むらむらと斑が立って、雨の色が、花簪、箱狭子、輪珠数などが落ちた形に・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・ こういうことを思い浮べながら、玉乗りのあった前を通っていると吾妻橋の近処に住んでいる友人に会った。「どこへ行くんだ?」「散歩だ」「遠いところまで来たもんだ、な」「なアに、意味もなく来たんだ」「どッかで飲もう」という・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
夜の隅田川の事を話せと云ったって、別に珍らしいことはない、唯闇黒というばかりだ。しかし千住から吾妻橋、厩橋、両国から大橋、永代と下って行くと仮定すると、随分夜中に川へ出て漁猟をして居る人が沢山ある。尤も冬などは沢山は出て居・・・ 幸田露伴 「夜の隅田川」
雷門といっても門はない。門は慶応元年に焼けたなり建てられないのだという。門のない門の前を、吾妻橋の方へ少し行くと、左側の路端に乗合自動車の駐る知らせの棒が立っている。浅草郵便局の前で、細い横町への曲角で、人の込合う中でもその最も烈しく・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・それに反して向島災後の状況に関しては、少くとも一年一回来り見るところから、ややこれについて語ることが出来るような気がしている。吾妻橋を渡ると久しく麦酒製造会社の庭園になっていた旧佐竹氏の浩養園がある。しかしこの名園は災禍の未だ起らざる以前既・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・帰りは白鬚から蒸気船で吾妻橋まで戻る積りで、暗い混雑した向島の堤を行った。家に帰る沢山の空馬力、自転車、労働者が照明の不充分な塵っぽい堤を陸続、互に先を越そうとしながらせっかちに通る。白鬚の渡場への下り口にさしかかると、四辺の光景は強烈に廃・・・ 宮本百合子 「九月の或る日」
出典:青空文庫