・・・パンと塩と水とをたべている修道院の聖者たちにはパンの中の糊精や蛋白質酵素単糖類脂肪などみな微妙な味覚となって感ぜられるのであります。もしパンがライ麦のならばライ麦のいい所を感じて喜びます。これらは感官が静寂になっているからです。水を呑んでも・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・而も、一方は無限の視覚、聴覚、味覚を以て細かく 細かく、鋭く 鋭くと生存を分解する、又組立てる。 考 創作をするにも種々な動機があると思う。或人はイブセンの如く燃え立つ自己の正義感と理想とに・・・ 宮本百合子 「初夏(一九二二年)」
・・・ 自分もこうして遂に些かながら、味覚郷愁を洩すことになった。 それにしてもラフカデオ・ハーンは、彼の幾多の随筆力のどこかに美味なアメリカのチキンポットパイについての感慨をのこして居るであろうか? 神戸の生垣にもカタツムリは這って居た・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
・・・じを少しつきつめて行くと、度はずれな人気なさと錯雑した色彩の跳梁とで何処やらアラン・ポウ的幻想が潜んでいそうな室内で、顎骨を上下させ咀嚼作用を営んでいる孤独な自分等が、変に悲しいということになるのだ。味覚から来る美味いという感覚は私共を頻り・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・この種の享楽の能力は、嗅覚と味覚の鈍麻した人が美味を食う時と同じく、零に近いほどに貧弱である。 放蕩者は一般に享楽人と認められる。しかし放蕩者のうちに右のごとき貧弱な享楽人の多いことは疑えない。芸妓の芸が音曲舞踊の芸ではなくして枕席の技・・・ 和辻哲郎 「享楽人」
出典:青空文庫