・・・と、その牛も呼びました。それから羊も山羊も馬も豚も、すっかりあつまって来ました。そしてみんなで列をつくって、女のあとについて、どんどん湖水の中へかえってしまいました。 ギンは気狂のようになって、あとを追っかけていきましたが、もう・・・ 鈴木三重吉 「湖水の女」
・・・弟妹たちを呼び集めて、そのところを指摘し、大声叱咤、説明に努力したが、徒労であった。弟妹たちは、どうだか、と首をかしげて、にやにや笑っているだけで、一向に興奮の色を示さぬ。いったいに、弟妹たちは、この兄を甘く見ている。なめている風がある。長・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・ある室へ来た時にそこのある窓の前にみんなを呼び集め、ベデカの中の一行をさしながら、「この窓から見ると景色がいいと書いてある」と言って聞かせた。一同はそうかと思って、この見のがしてならない景色を充分に観賞する事ができた。 私はこの人の学者・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・道太は呟いたが、何か東京の方へ通信があって、それで呼び返すための電報じゃないかと、ちょっとそういう疑いも起こった。ここへ来てから、彼は東京へ一度しか音信をしていなかった。しかしその疑いは何の理由のないことは自分も承知していた。「いったい・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・彼は窓外を呼び過ぎる物売りの声と、遠い大通りに轟き渡る車の響と、厠の向うの腐りかけた建仁寺垣を越して、隣りの家から聞え出すはたきの音をば何というわけもなく悲しく聞きなす。お妾はいつでもこの時分には銭湯に行った留守のこと、彼は一人燈火のない座・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・知らぬ顔をして行き過ぎると穴から手を出して捕まえそうに烈しい呼び方をする。子規を顧みて何だと聞くと妓楼だと答えた。余は夏蜜柑を食いながら、目分量で一間幅の道路を中央から等分して、その等分した線の上を、綱渡りをする気分で、不偏不党に練って行っ・・・ 夏目漱石 「京に着ける夕」
・・・と呼び、一切の交際を避けて忌み嫌った。「憑き村」の人々は、年に一度、月のない闇夜を選んで祭礼をする。その祭の様子は、彼ら以外の普通の人には全く見えない。稀れに見て来た人があっても、なぜか口をつぐんで話をしない。彼らは特殊の魔力を有し、所因の・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・ 次の間の長火鉢で燗をしながら吉里へ声をかけたのは、小万と呼び当楼のお職女郎。娼妓じみないでどこにか品格もあり、吉里には二三歳の年増である。「だッて、あんまりうるさいんだもの」「今晩もかい。よく来るじゃアないか」と、小万は小声で・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ 故に一口に教育と呼び做せども、その領分はなかなか広きものにて、ただに読み書きを教うるのみを以て教育とは申し難し。読み書きの如きはただ教育の一部分なるのみ。実に教育の箇条は、前号にも述べたる如く極めて多端なりといえども、早くいえば、人々・・・ 福沢諭吉 「家庭習慣の教えを論ず」
・・・(死は物を呼び寄するが如き音をヴァイオリンにて弾じ出す。この時死は寝室の扉の傍、舞台の前の方、右手に立ちおり、主人は左手壁の方、薄暗き処に立ちおる。右手の扉を開きて主人の母出で来る。更けたりという程にはあらず。長き黒き天鵞絨の上着を・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
出典:青空文庫