・・・その夜はさすがに家をあけなかったが、翌日、蝶子が隠していた貯金帳をすっかりおろして、昨夜の返礼だとて友達を呼び出し、難波新地へはまりこんで、二日、使い果して魂の抜けた男のようにとぼとぼ黒門市場の路地裏長屋へ帰って来た。「帰るとこ、よう忘れん・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・四日目の夕方呼出しの電話が掛った。話がついた、すぐ来いの電話だと顔を紅潮させ、「もし、もし、私維康です」と言うと、柳吉の声で「ああ、お、お、お、おばはんか、親爺は今死んだぜ」「ああ、もし、もし」蝶子の声は癇高く震えた。「そんなら、私はすぐそ・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・一日、男を呼び出して、訊問した。検事は、机の上の医師の診断書に眼を落しながら、「君は、肺がわるいのだね?」 男は、突然、咳にむせかえった。こんこんこん、と三つはげしく咳をしたが、これは、ほんとうの咳であった。けれども、それから更に、・・・ 太宰治 「あさましきもの」
・・・但馬さんは、来る度毎に私を、こっそり廊下へ呼び出して、どうぞ、よろしく、ときまったように真面目に言ってお辞儀をし、白い角封筒を、私の帯の間につっ込んで下さるのでした。あなたは、いつでも知らん顔をして居りますし、私だって、すぐその角封筒の中味・・・ 太宰治 「きりぎりす」
・・・ いつでもお相手をするから、気のむいたときに、このおでんやに来て、そうして女中を使って僕を呼び出しなさい、と言って、握手をしてわかれたのを、私は泥酔していても、忘れてはいなかった。 と書けば、いかにも私ひとり高潔の、いい子のようにな・・・ 太宰治 「父」
・・・フロイドの夢判断に拠るまでもなく、これは時鳥や水鶏が呼び出した夢であろう。 宿の庭の池に鶺鴒が来る。夕方近くなると、どこからともなく次第に集まって来て、池の上を渡す電線に止まるのが十何羽と数えられることがある。ときどき汀の石の上や橋の上・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・たとえば月を断ち切る雲が、女の目を切る剃刀を呼び出したり、男の手のひらの傷口から出て来る蟻の群れが、女の腋毛にオーバーラップしたりする。そういう非現実的な幻影の連続の間に、人間というものの潜在的心理現象のおそるべき真実を描写する。この点でこ・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・それからまた犯人と目星をつけた女の居所を捜すのに電話番号簿を片端からしらみつぶしに呼び出しをかける場面などもやはり一つの思いつきである。 こうした趣向の新しさを競う結果は時にいろいろな無理を生じる。たとえば大地震で大混乱を生じている同じ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・あの人が……それもこの家で、ちらと辰之助さんを見て、すぐ呼出しをかけたわけなんです」「なるほどね。それじゃ家に燻ぶっちゃいられないわけだね。今でも続いているの」「さあどうやら」お絹は擽ったい顔をしていた。「あれは兄弟じゅうで一番・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・他の芝居へ出ているものや、地方興行から帰って来た人たちが、内のものを呼び出して、出入口の戸や壁に倚りかかって話をしている事もあるし、時侯が暑くなると舞台で使う腰掛を持出して、夜昼となく大勢交る交るに腰をかけて、笑い興じていることもあったが、・・・ 永井荷風 「草紅葉」
出典:青空文庫